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個人的な映画・本・音楽についての鑑賞記録・感想文です。

「大いなる陰謀」 1998

大いなる陰謀 (角川文庫 ホ 14-1)

★★★☆☆

 

あらすじ

 陰謀理論を教える大学教授の男は、シカゴの実家にいるはずの妻が、墜落したニューヨーク発ブラジル行きの飛行機に乗っていたとの連絡を受ける。

 

感想

 ドラマ版の「ファーゴ」シリーズが面白かったので、そのショーランナーである著者の小説を手に取ってみた。

www.star-ch.jp

 

 主人公は陰謀論者の男だ。妻が乗っているはずのない飛行機で墜落死したとの報を受ける。最初は、妻が不倫旅行をしていただけなのに陰謀だと思い込み、盗聴や尾行を警戒する主人公の姿を面白おかしく描くものかと思っていたのだが、どうも様相が違う。主人公やその仲間に実際に何者かが忍び寄っているらしいことが分かってくる。

 

 ただ、他の乗客も大勢一緒に死亡しているので、たとえ陰謀だったとしてもただの陰謀論者など狙うわけはないのだから、ターゲットは別の誰かなのでは?と半信半疑になってしまう。そんな状況で、これは陰謀だと確信し、真相を探ろうとする主人公らの姿が描かれていく。

 

 

 普通だったら、また陰謀論者がおかしなことを言い出したよと一笑に付すところなのだろうが、実際におかしなことが起きてしまっているのだからリアクションに困ってしまう。ほら吹きだと馬鹿にしていた人が言ったことが、すべて真実だったと判明した時のような気まずさだ。もはや陰謀論者を簡単には笑えなくなる。

 

 世の中には陰謀論者が溢れているが、彼らもきっとこんな瞬間がやって来ることを信じて頑張っているのだろう。自分だけが真実に目覚めたと思い込んでいる。気分はレッドピルを飲んだ「マトリックス」のネオなのだろう。何を言っても間違っているのはそっちの方だと譲らない。彼らを止めることがいかに難しいかを実感する。

 

 98年の小説なのであまりインターネットの話は出てこないが、陰謀論者のリーダーがネットの活用を訴える若手を見て、情報力が国家から民衆の手に渡るのはいいことだ、と語っていたのが印象的だ。ネットの普及によって世の中がより民主的になると夢見ていた頃の牧歌的な話だ。

 

 それから30年ほど経った現在では、ネットは大衆よりも権力側にとって都合の良いツールだったことが判明してきたような気がする。ちょっとお金を使えば簡単に大衆を騙して操れてしまう。しかも今まで声が届きにくかった層が一番敏感に反応し、簡単に騙されてくれる。

 

 制約ばかりで使えないテレビより、やりたい放題できるネットの方が情報操作しやすい。だからネットでいくら問題が起きようが、なかなか規制が設けられることはなく、野放しのままにされているのだろう。

 

 陰謀論者である主人公らの想像通りにどんどんと進行していく展開で、呆気に取られているうちに、あれよあれよと結末を迎えてしまった。終盤に明るみになった妻に関する新事実は都合が良すぎる感もあり、全体的に現実離れしたフワフワとした雰囲気が漂っている。この浮遊感を面白がれるかどうかがカギになりそうだ。

 

 最後まで自分の信念を捨てない主人公の姿には胸を打たれる。最後はきっちりと引き締め、幕が閉じられた。

 

著者

ノア・ホーリー

 

 

 

登場する作品

「海まで漕いで(Paddle-to-the-Sea)」

「お化けの料金所(The Phantom Tollbooth (Essential Modern Classics))」

ターザンの帰還 (創元SF文庫 ハ 3-44)

「バスケットボール日記(The Basketball Diaries: The Classic About Growing Up Hip on New York's Mean Streets)」

 

 

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「顔のない裸体たち」 2006

顔のない裸体たち (新潮文庫)

★★★★☆

 

あらすじ

 普通の人生を送って来た女性教師は、出会い系サイトで知り合った男によって、今まで知らなかった世界へと導かれていく。

 

感想

 自分の性的な写真や動画をインターネット上にアップしていた女の物語だ。これだけ聞くと特殊でとんでもない女性に思えるが、もとは取り立てて特別なことのない普通の女性だったことが分かる。そんな主人公がどうしてそのような行為をするようになっていったのか、その経緯が調書のようなスタイルで描かれていく。

 

 そんな中で分かってくるのは、いくつもの偶然が彼女をそこへ導いたということだ。出会い系サイトに登録したのは仕事上の都合で、それがなければ魔が差して誰か男と会ってみようとはならなかっただろうし、その誰かがそんな性癖を持つ男でなかったら、そんな世界に足を踏み入れることはなかったはずだ。

 

 

 そしてそこに至るまでの彼女を常に後押ししたのが、顔がないこと、つまり匿名性だったことは興味深い。本当の名前ではない、別のニックネームを使うことで大胆になれた。さらには、これは本当の自分ではないと強く思い込むために、普段の自分なら絶対にやらないことを敢えて積極的にやろうとまでしていた。自分ではない、完全に別の女として割り切って男と会っていたわけだ。

 

 顔が見えず匿名であれば大胆になれるというのは誰でもそうだろう。SNSでの匿名アカウントの言動を見ればよく分かる。世界中で仮面の文化があるのもそういうことなのだろう。スーパーヒーローもマスクで顔を隠している。

 

 自分ではない誰かのつもりで振る舞っていたのに、それが本当の自分と一体化しようとすると、落ち着かない気分になってしまうのは分かるような気がする。自分の正体がバレそうになったスーパーヒーローみたいなものだろう。割り切ってやっていたことが自分の中で折り合いがつかなくなり、戸惑いを覚える。そうやって主人公は破滅に向かっていった。

 

 一人の平凡な女性がどのように変わっていったのか、その過程が丹念に描写されていて面白かった。本人は無意識だが、言語化するとこういうことだろうという形式なのも、リアルさがあった。そういう人はあまり自分の事を深く考えていなさそうだ。

 

 しかし、解説にもあったが、こういう趣味の人たちが、特殊とは言えないほどに世の中にたくさんいるというのは想像が出来ない。しかもどこか特別な場所にいるのではなく、普段は何食わぬ顔をして我々の日常生活に溶け込んでいる。身近な人やここ数日に出会った人たちの誰かがそうであっても全然おかしくないわけで、そう考えるといつもの世界が違って見えてくる。

 

著者

平野啓一郎

 

顔のない裸体たち - Wikipedia

 

 

この作品が登場する作品

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「宿屋めぐり」 2008

宿屋めぐり (講談社文庫)

★★★☆☆

 

あらすじ

 主人の命で大権現に刀の奉納へ向かう男は、道中で奇妙な世界に入り込んでしまう。

 

感想

 奇妙な世界にはまり込んでしまった主人公が、元の世界へ戻る機会を窺いつつ、当初の目的である大権現参りの旅をとりあえず続ける物語だ。奇妙な人物が次々と登場し、奇妙な出来事が次々と起こる。主人公は数々の難局を何とか乗り越えていくのだが、彼がいつも気にしているのは自分の行いを主人がどう思うのか?ということだ。

 

 主人公は、主人のこれまでの悪逆非道な振る舞いに怯えきっている。彼の見聞きした情報から、きっと主人は悪魔のような人物なのだろうなと思っていたが、あまりにも主人公が「主は」、「主は」と言及するものだから、主人とは神様的なものなのか?と段々気付いてきた。

 

 

 そして元いた場所があの世で、今いる場所がこの世なのか?とも。ただ単純に面白可笑しい話をやっているわけではなく、そこには深い意味が隠されていた。

 

 だが主人は神様的な人なのに、悪魔のように見えてしまったのは面白い。全く正反対の存在であるはずだが、方針にブレがなく首尾一貫しているという意味では同じようなものなのかもしれない。確固たる方針があるからこそ運用も厳格で、例外はなく融通も効かない。それに従わなければならないとなったら厄介だろう。よく考えると聖書や神話で描かれる神は残酷だ。神と悪魔はよく似ている。

 

 だが主人公は、そんな「主」の存在を都合よく利用してしまっている。主からの使命を果たすためにまずは十分な休養が必要だとサボり、リフレッシュも欠かせないと遊ぶ。使命のためにやるのだから仕方がない、主も分かってくれるはずと、良くないこともやってしまう。典型的なダメ人間だ。

 

 しかしダメ人間になってしまうのは、天才的に言い訳が上手い人なのかもしれない。普通の人は、やらなければいけない事はやらなければいけないのだからと嫌々ながらもやるが、ダメ人間はやらなくてもいいと思えるような上手い言い訳を編み出すことが出来てしまう。それで自分を正当化して安心し、結局やらずに先送りしてしまう。そうやって自分を甘やかし続けることで、色んなものが手遅れになっていく。

 

 ただ、うまく自分を騙せずに何でも真面目にやってしまう人は、それはそれで問題が起きてしまいそうなので、その中間で程よくやるのがいいのだろう。

 

 終盤に主人公は、自分のやることは主が喜ぶこと、敵のやることは主が怒ることと、ただ都合よく解釈していただけだったと終盤に思い知らされる。まったく教えに従っていなかったわけだが、それでも「主」のいない生き方は考えられないと言っていたのは印象的だった。人間は自分の中に何かの基準がないと生きていけないのだろう。それは神でなくとも、間違っていても構わない。打ちのめされた主人公が振出しに戻るカルマを感じる結末だった。

 

 不思議なことがたくさん起きすぎて、すべてはうまく消化できていないが、生きるとは?「自分」とは?と、人間の根源的なことを考えてしまう物語だ。

 

著者

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登場する作品

新装版 俄(上) 浪華遊侠伝 (講談社文庫)

 

 

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「滅ぼす」 2022

滅ぼす 上下合本版

★★★★☆

 

あらすじ

 謎のテロ事件が連続して起こる中、経済大臣の秘書官は元諜報機関職員の父親が倒れたとの報を受け取る。

 

感想

 冒頭では、連続発生した様々な謎が散りばめられたテロ事件の概要が述べられていく。犯行声明めいたメッセージは受け取るも、そのテロ組織がどんな性質を持っているのか、右寄りなのか左寄りなのかさえまだ判断できない行き詰まった状況だ。これからこの事件の全容を解明する過程が描かれていくのだろうなと思っていたのだが、そうではなかった。

 

 テロ組織からのメッセージの中には、フランスの経済大臣に言及するものがあったのだが、その後はこの経済大臣の秘書官である主人公の生活が描かれていく。主人公は、高級官僚ではあるが仕事への情熱はあまり感じられず、プライベートでは何年も妻の顔を見ない家庭内別居状態にある男だ。ただ漫然と無気力に生きている。

 

 しかし、同居していながら全く互いの顔を見ないで生活ができるなんてあまり想像できない。広い家が買えてしまう金持ちならではだろう。アパート内でばったり出会うと緊張してしまうとは面白い。

 

 やがて父親が倒れ、久々に実家に顔を出すようになった主人公は、疎遠になっていた妹や弟たちとその家族の近況を知るようになる。それぞれの家族にはそれぞれの事情があり、それによって破綻しかけていたり、それでも絆を保っていたりと様々だ。父親とその子供たちの家族の問題に関わっていくことで、主人公の心に次第に変化が起きていく。

 

 それと同時に、ほぼ他人のような暮らしをしていた妻との関係も改善していく。年齢的にそれぞれ親の今後を意識せざるを得なくなり、自らの将来も考えるようになったのだろう。

 

 

 その一方で、外の世界に求めた人生の喜びに失望したということもあるのかもしれない。仕事や政治、宗教にどれだけ打ち込んでも、高収入で世間から幸福そうに見えたとしても、決して満たされない何かがあった。そうやって何かを探し求めて遠くを見ていた視線が、次第に自らの足元へと移って行ったのだろう。まずは足元がしっかりしていないとどうしようもないことに気付いてきた。

 

 夫婦円満となってそのまま終わるのかと思ったら、最後に主人公自身に問題が起きてしまったのには驚いた。人は他人の問題には敏感でも、案外と自分の異変には無頓着なものだ。あまりにも唐突な暗転ぶりに、読んでる自分自身は大丈夫だろうかと急に不安になってきた。

 

 やがて悲しい結末がやって来る。だが読後感は暗くない。むしろ明るいものすら感じてしまうのは、主人公が幸せとは何かに気付き、満ち足りた気持ちになっていたからだろう。

 

 日々、人々は自らの幸せのために声高に主義主張をし、時には過激化してテロまで起こしている。保守だ革新だと過熱し、活動が細分化する現代は、もはやどっちがどっちかすら曖昧になるほどのカオス状態だ。だが、それで誰か幸せになったのか?という話だろう。案外幸せとはシンプルなものなのかもしれない。

 

 

著者

ミシェル・ウエルベック

 

 

 

登場する作品

ゲルク派版チベット死者の書 改訂新版

「デカルト的渦巻の理論及び引力に関する考察」 ベルナール・フォントネル

マトリックス レボリューションズ (字幕版)

マトリックス (字幕版)

ロード・オブ・ザ・リング(吹替版)

ふしぎな流れ星 (タンタンの冒険)

ブリタニキュス (岩波文庫) (1949年)

「原始的未来(Future Primitive & Other Essays)」

「産業社会とその未来(La société industrielle et son avenir)」

「マニフェスト―産業社会の未来(Manifeste : l'avenir de la société industrielle)」

金色の眼の娘

「人間喜劇(La Comedie humaine 1/Etudes de moeurs, scenes de la vie privee)」

「残るは暴力のみ(The Sudden Arrival of Violence (The Glasgow Trilogy Book 3) (English Edition))」

犯罪と刑罰 (岩波文庫 白 10-1)

「革命家の教理問答書(Catéchisme du révolutionnaire: Le règlement de l'organisation clandestine révolutionnaire "Vindicte populaire")」

「二〇八三」 アンネシュ・ベーリング・ブレイビク

タンタン ソビエトへ (タンタンの冒険)

誰がために鐘は鳴る〈上〉 (新潮文庫)

「切れ端(Le lambeau (Prix Femina 2018))」

「死、生の扉(生命尽くして―生と死のワークショップ)」

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「シャーロック・ホームズ全集(Sherlock Holmes t.1)」

「セント=ヘレナ回想録(セント=ヘレナ覚書 

恐怖の谷(新潮文庫) シャーロック・ホームズ シリーズ

「白面の兵士」 「シャーロック・ホームズの事件簿 【新版】 シャーロック・ホームズ・シリーズ (創元推理文庫)」収録

シャーロック・ホームズ最後の挨拶 (新潮文庫)

死との約束 (クリスティー文庫)

「しるし」 アポリネール

「ローラ」 アルフレッド・ド・ミュッセ

 

 

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「一人称単数」 2020

一人称単数 (文春文庫)

★★★☆☆

 

あらすじ

 気まぐれに普段滅多に着ることのないスーツを着て出かけた男が、バーで不思議な女と遭遇する表題作など、全8編の短編集。

 

感想

 どことなく冷ややかな感触の物語が多い印象を受ける短編集だ。遠い昔を回想するようなものが多く、その時間的距離が離れすぎて、第三者的な冷静さを感じてしまうからかもしれない。見知らぬ他人に突然声をかけられる不穏な場面も多い。

 

 旅館で普通に猿が働いている「品川猿」なども面白かったが、一番印象に残ったのは表題作の「一人称単数」だ。着慣れないスーツを気まぐれに着て出かけた男がバーで見知らぬ女に言いがかりをつけられる。

 

 

 普段あまり着ないような服を着ると、落ち着かない気分になるものだ。それだけでいつもなら当たり前にやっていたことを出来なくなったりする。勝手に気後れしてしまっているのかもしれないし、こちらの身なりで相手が態度を変えるからなのかもしれない。中身は何も変わっていないのに、外側を変えただけでいつも通りでいられなくなってしまうのは興味深い。逆にこの現象をうまく利用することも出来るだろう。

 

 それから自分に相応しい恰好、相応しくない格好があるというのも、よく考えれば不思議だ。もしかしたら他人から見れば全く違和感はないのかもしれないが、それでも自分らしくないと感じてしまう服装は確かにある。

 

 これはこれまでの人生でどんなものを着て来たのかが影響するはずだ。だから若いうちはそこまでそう感じてしまうような格好はないのかもしれない。歳を重ねるうちに自分らしい服装というものが形作られていく。個人に限らず長い歴史の中で、公務員らしい恰好、裏社会にいそうな恰好などといった型も出来てきた。

 

 自分ではまずすることのないだろうファッションに身を包んだ同年代の他者を見て、あの人みたいな恰好をするような人生が自分にもあったのかもなと想像し、遠い目をしてしまう気持ちは良く分かる。いくつもの人生の分岐点を経て、一人称単数の自分は今ここにいる。マルチバースの別の世界では、また違う出で立ちをした一人称単数の自分がいるのだろう。

 

 そう、人生は勝つことより、負けることの方が数多いのだ。そして人生の本当の知恵は「どのように相手に勝つか」よりはむしろ、「どのようにうまく負けるか」というところから育っていく。

p141

 

 その他にも人生について考えしまう描写が随所にある。上記は深そうに見えて、弱小球団の応援を続ける自分に対する言い訳なのが可笑しい。だがやっぱり深い。

 

 それから記憶をなくす話が多かったので、著者は物忘れが激しくなってそれを気にしているのかな、などと勝手な想像をしたりした。

 

著者

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一人称単数 (村上春樹) - Wikipedia

 

 

登場する作品

避暑地の出来事 [DVD]

サウンド・オブ・ミュージック (字幕版)

歯車

河童

風の歌を聴け (講談社文庫)

羊をめぐる冒険 (講談社文庫)

アパッチ砦(字幕版)

アンナ・カレーニナ 1 (光文社古典新訳文庫)

 

 

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「七つの殺人に関する簡潔な記録」 2014

七つの殺人に関する簡潔な記録

★★★☆☆

 

あらすじ

 選挙を控えて政治的対立がヒートアップするジャマイカで起きたある歌手の暗殺未遂事件。その周辺にいた人々のその後が描かれていく。

 

 1976年12月にジャマイカで実際に起きたボブ・マーリー暗殺未遂事件を題材にしている。マン・ブッカー賞受賞作。

 

感想

 タイトルとは裏腹に2段組みで700ページ以上ある大長編の小説だ。ジャマイカで起きた歌手(ボブ・マーリー)暗殺未遂事件の周辺にいた地元のファンやギャング、政治家やCIA、ジャーナリストら多数の人物が織りなす群像劇だ。彼らが交互にそれぞれのストーリーを語っていく。

 

 序盤は、日本語に翻訳された彼らの語り口が取っつきにくいものだったので、読み進めるのにかなり苦労した。大長編の話の方向性もまだ見えない段階でこれはつらかった。

 

 

 ただ、巻末の訳者あとがきで詳しく解説されているが、そもそもジャマイカの言語が純粋な英語ではなく、様々な言語と英語が混じったクレオール語の一種なので致し方がないのだろう。さらには言葉の訛り具合でその人の社会的身分や社会に対する姿勢まで見えてくるようなので、翻訳はかなり大変そうだ。古臭い言葉もその苦労の表れなのだろう。

 

 ボブ・マーリーが、激しく対立するジャマイカの二つの政党の党首をコンサートのステージ上に呼び込み、両者を握手をさせたエピソードは知っていたが、題材となった彼の暗殺未遂事件については全然知らなかった。胸を撃たれたその数日後にコンサートを行なっていたことも知らなかったが、確かに神秘的なものを感じてしまうすごいエピソードだ。だが作中で彼自身の話がされることはほとんどなく、彼は触媒のような存在だ。

www.youtube.com

 

 代わりに彼を取り巻く状況の中にいた人々の様子が描かれていく。様々な立場にいた彼らの様子を知ることで、当時のジャマイカの国内の様子や対外的な立場が見えてくる。そんな中で、国内の二大政党が地域のギャングを使って勢力争いしている構図は興味深かった。

 

 一応はキューバとも近い社会主義的な政党と、民主主義的な政党とに分かれており、それゆえにアメリカなどから注目もされていたわけだが、ギャングたちはそんな政治的な主張にはほとんど関心を示していない。単なる地域同士の抗争と見なしている。

 

 これでは政治ではなく単なるヤクザの勢力争いと変わらない。だが、案外日本の地域政党もこんな感じなのかもしれないなと思ってしまった。投票する人はその政治的方針などは気にしておらず、おらが村の殿様だ、よそのやつに負けるわけにはいかない、応援しなければ、くらいの感覚でいるのだろう。

 

 物語が中盤を迎える頃になると、段々と物語の構成が見えてきて読み進めるしんどさはなくなり、どんどんと面白くなってくる。時代は76年から歌手の死後も続き、90年代初頭まで進む。登場人物たちの状況は変わり、ギャングの世界も世代交代が進む。ジャマイカが、時代と共に変化していく様子が見えてくる。主な舞台がジャマイカからアメリカに移るのもまた示唆的だ。

 

 読み終えると、ジャマイカという国のリアルな実像とその歴史が浮かびあってくるような、壮大な物語だ。読み終えた時の満足感は大きい。ボブ・マーリーやその当時のカルチャーをよく知っていれば、さらに深く楽しめるはずだ。

ボブ・マーリー - Wikipedia

 

 

著者

マーロン・ジェイムズ

 

 

 

登場する作品

野生のエルサ゛             

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完訳マルコムX自伝 上 (中公文庫 B 1-31 BIBLIO20世紀)

特攻大作戦 (字幕版)

哲学の諸問題 (1946年)

マイアミとシカゴの包囲 (1977年) (ノーマン・メイラー選集)

「ベッドタイム・フォー・ボンゾー(BEDTIME FOR BONZO)」

オーシャンと11人の仲間(字幕版)

「中間航路(The Middle Passage (English Edition))」

氷の上の魂 (1969年)

「ソレダッド兄弟(Soledad Brother: The Prison Letters of George Jackson)」

「ヨーロッパをいかにしてアフリカを低開発化したか?(世界資本主義とアフリカ―ヨーロッパはいかにアフリカを低開発化したか (1978年))」

暗闇にベルが鳴る HDリマスター版 [Blu-ray]

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「ファルコンハーストの女主人(Mistress of Falconhurst)」

南太平洋 [DVD]

「ミスティ・ベートーヴェン」

ダラス(字幕版)

ドクター・ノオ (字幕版)

リバティ・バランスを射った男 (字幕版)

眠れる森の美女 (吹替版)

「吠える」 「【新訳】吠える その他の詩 (SWITCH LIBRARY)」所収

悲しみは空の彼方に ダグラス・サーク DVD HDマスター

ガリバー旅行記

闇の奥 (岩波文庫 赤 248-1)

パープル・レイン (字幕版)

「完全に行方不明になって二度と発見されない方法(How to Disappear Completely and Never Be Found

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「アメリカのアンダーグラウンドで使われている改造武器(Improvised Weapons of the American Underground)」

「ホンモノの自家製サクランボ爆弾(Professional Homemade Cherry Bombs and Other Fireworks by Joseph Abursci(1979-11-01))」

「前妻を永遠に消す方法(How to Lose Your Ex-Wife Financially Forever)」

罪と罰 1 (光文社古典新訳文庫)

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「ルパン三世 THE FIRST」 2019

ルパン三世 THE FIRST

★★★☆☆

 

あらすじ

 考古学者の若い女性と協力し、ナチスの残党も狙っている超古代文明の兵器を謎解きしながら探すルパン三世。

www.youtube.com

 

 劇場版第7作。シリーズ初のフル3DCGアニメーション作品。

 

感想

 ルパン初の3DCGアニメで作られた作品だ。当然見慣れたアニメと見比べてしまうわけだが、キャラの造形や動きに取り立てて見るべきところはなく、3DCGにした意味が見い出せなかった。とりあえず立体にして動かしてみました、というだけの印象だ。

 

 特にルパンらの動きに躍動感が感じられないのが残念だ。型に合わせて動いているだけのようなぎこちなさがある。それから峰不二子の造形が全然魅力的でないのも悲しい。これらはアニメでは出来ていたことだけに余計気になってしまう。フル3DCGで作るだけでもすごいことなのかもしれないが、今どきそれだけで良しとするわけにはいかないだろう。

 

 

 ルパンが考古学者の若い女性と協力し、謎解きしながら超古代文明の兵器を探すストーリーだ。考古学者の女性が複雑なバックグラウンドを持っており、目的が競合するナチスの残党との争いに良いアクセントを加えていた。ただもうちょっと残党側の描写を掘り下げて欲しかった。育ての親の研究者が体を張って彼女を守る終盤のシーンは、前振りなしの突然のベタな展開に鼻白んでしまう部分があった。

 

 局面が二転三転し、何度も窮地に陥りながらも全くめげず、飄々と挽回するルパン一行らのいつもの様子や、謎解きの様子はそれなりに楽しめる。ただ、いつも通りに普通のアニメでやっていたら、ちゃんと力を入れるべきところに力を入れられて、もっと面白く仕上がっていたのだろうなと思ってしまう作品ではある。

 

スタッフ/キャスト

監督/脚本 山崎貴

 

原作 ルパン三世 : 1 (アクションコミックス)

 

出演(声) 栗田貫一/小林清志/浪川大輔/沢城みゆき/山寺宏一/広瀬すず/吉田鋼太郎

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音楽 大野雄二

 

ルパン三世 THE FIRST

ルパン三世 THE FIRST

  • ルパン三世/栗田貫一
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ルパン三世 THE FIRST - Wikipedia

 

 

関連する作品

前作 劇場版第6作

 

 

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「本心」 2021

本心

★★★★☆

 

あらすじ

 ふたりで一緒に暮らしていた母親を喪った男は、彼女のVF(ヴァーチャル・フィギュア)を作ることを決意する。

 

感想

 最愛の母をヴァーチャルで蘇らせた男が主人公だ。ヴァーチャルな母親をより本物らしくするために、生前母親と交流のあった人たちと接触を図ることでドラマが生まれていく。

 

 このVF(ヴァーチャル・フィギュア)もそうだが、この他にリアル・アバターや自由死など、独自の設定が盛り込まれた近未来の日本が舞台のSF小説となっている。主人公の境遇や社会の様子など、物語全体に暗い雰囲気が漂っているが、現状から日本の将来を想像するとどうしてもこうなってしまうよなと説得力しかない。氷河期世代が高齢者となる数十年後の日本だ。

 

 しかし一体、今のこの国で、仕事から生の喜びを得ているという人間が、どれほどいるのだろうか?こんな問いは、冗談でもなければ、人を立腹させる類いのものだろう。


 多くの人間が、自分が生きているという感覚を、疲労と空腹に占拠されている社会で、僕は母の「もう十分」という言葉を聞いたのだった。

p51

 

 主人公は生前の母親が自分を残して自死を選ぼうとしていたことに納得が出来ず、わだかまりが残っている。それがヴァーチャルで彼女を再生させた理由の一つでもあった。だが彼女と交流のあった仕事仲間の話を聞いたり、彼女の過去を探るうちに、主人公の知らなかった意外な母親の姿が見えてくるようになる。自分が理解していた母親は、彼女のほんの一部分でしかなかったことに気付く。彼女のことを知ろうとすればするほど分からなくなっていく。

 

 

 結局、他人の事を100パーセント理解できることなどないのだろう。ましてやその「本心」なんて知る由もない。だとしたらそんなことにこだわるのではなく、自分とその人との関係をより良いものにすることを考えた方がいいのかもしれない。相手を問い詰めたり、考えを押し付けたりせず、受け入れることだ。

 

 家と仕事場の行き来だけ、話し相手は母親だけの単調な生活だった主人公が、母親の多面性を知っていく過程で人と知り合い、彼自身も多面的になっていくのが面白い。そしてそれが母親への執着を弱めて、彼の人生の可能性を広げていった。

 

 自分と他者を巡る物語で、思わず考え込んでしまうような場面もあり、読みごたえがある。中でも主人公が友人のリアル・アバターとなり、自分が想いを寄せる女性に告白するシーンはなんとも言えない込み上げてくるものがあって強く印象に残った。

 

著者

平野啓一郎

 

本心

本心

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登場する作品

伊豆の踊子 (角川文庫)

高瀬舟 (集英社文庫)

「小夜啼鳥(ナイチンゲール)」 コールリッジ

タクシードライバー (字幕版)

 

 

この作品が登場する作品

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「女ざかり」 1993

女ざかり (文春文庫)

★★★★☆

 

あらすじ

 新聞に書いたある記事が原因で政府から圧力をかけられ、論説委員から外されそうになった女性は、あらゆるコネクションを使って真相を探り、それを阻止しようとする。

 

感想

 政府に圧力をかけられ、異動させられそうになった新聞社の女性社員が主人公だ。どうやら背後に宗教団体の働きかけがあるらしいとか、政府がマスコミに圧力をかけるとか、まるで今の政治を見ているかのようだ。きっとこの時代から政治は何も変わっておらず、それどころかむしろ酷くなっているのかもしれない。悪い意味で感慨に耽ってしまう。圧力に簡単に屈してしまう新聞社も同様だ。

 

 突然の異動の打診に違和感を覚え、主人公は真相を探り始める。新聞記者は普段から色んなジャンルの人と会っているからこういう時は強い。特に主人公は、かつて各界を代表する期待の若手を取材する特集記事を担当したことがあり、今はそれぞれの世界で大物となっている彼らとコネクションがある設定なのが面白い。思わぬところから意外な情報が入ってくる。

 

 そして主人公が様々な人に会い、様々な会話を交わす中で浮かび上がってくるのは、贈り物、贈与に関するあれこれだ。人々は生活の中で様々な贈り物をし、そしてお返しを貰っている。これは何もモノに限った話ではなく、それは時に情報だったり地位だったり、選挙の票だったりする。新聞記者である主人公にとっても、ギブアンドテイクの原則は取材相手から重要な情報を引き出すために有用な技術のはずだ。女ざかりの主人公には、見返りを勝手に期待する男性から特別な情報が提供されることもあるかもしれない。

 

 

 登場人物の一人などは、憲法で物のやり取りについて触れていないのはおかしいとまで主張している。日本は特にこの贈り物の文化が幅を利かせている特殊な社会であることを描き出そうとしているのだろう。この文化自体は悪いことではないが、相応しくない場面でもそれで通そうとしてしまっているから問題が起きてしまう。それが顕著なのが政治の世界で、政治家は有権者に金を配って有権者は見返りに投票するし、政府は外国にお金を贈ることが外交だと思っている。

 

 これもまた今の政治と変わっておらず、悪い意味で感慨深い。ただ最近は、政府は企業や友人に金を配ってその見返りに献金を貰うのが主流で、一般国民は蚊帳の外だ。さらには国民に隠れて献金を裏金にし、陰でコソコソと閉じた世界でまた贈り物をし合っているようだ。どうせ投票も献金もしない国民に金を配ったところで見返りがないと思っているのだろう。贈与の論理で政治を行うと社会がそっちのけとなって弊害ばかりだ。助けるべき人が助けられない。

 

 最終的には主人公が首相官邸に乗り込み、総理に直談判する。官邸での出来事はスリリングだった。多くの人が絡む複雑な貸し借りの相関関係が作用して、主人公の問題の落としどころが決まっていく過程は読みごたえがあった。そして政財界を巻き込む大きな話をしておきながら、最後は男女の贈与の話で締めくくるところが心憎い。

 

著者

丸谷才一

 

 

 

登場する作品

奥の細道

詩経 (講談社学術文庫)

副島種臣伯 (みすずリプリント)

日本外史 全現代語訳 第一巻: 巻之一 源氏前記 平氏 日本の歴史書現代語訳

孝経 (タチバナ教養文庫)

「座頭市(1989)勝新太郎ディレクターズカット」<4Kデジタルリマスター版>

百人一首 (講談社学術文庫)

口訳 古事記

漢書〈1〉帝紀 (ちくま学芸文庫)

ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学 (中公文庫)

 

 

関連する作品

映画化作品

 

 

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「Chatter(チャッター) 「頭の中のひとりごと」をコントロールし、最良の行動を導くための26の方法」 2021

Chatter(チャッター)―「頭の中のひとりごと」をコントロールし、最良の行動を導くための26の方法

★★★☆☆

 

内容

 時に我々を泥沼に引きずり込み、時には健康までも損なわせる頭の中のしゃべり声、チャッターと上手くコントロールする方法が紹介される。

 

感想

 頭の中のひとりごとについて書かれた本だ。このひとりごとは内省を促し成長に役立つものだが、悪い方に作用することも多い。頭の中を同じような考えが何度もグルグルと回って抜け出せず、それ以外のことが出来なくなったり、眠れなくなったりする。

 

 チャッターを構成するのは、「循環するネガティヴな思考と感情」だ。こうした思考や感情は、内省という素晴らしい能力を祝福ではなく呪いに変えてしまう。私たちの行動、意思決定、人間関係、幸福、健康を危険にさらすのだ。

p12

 

 本書ではそんな「チャッター」をどうすればコントロールできるのか、その具体的な方法が紹介されている。様々な研究の結果が示されているが、よく考えると心の声は自分にしか分からないものなので、なかなか客観的には見えにくいものだ。

 

 人は当然のように、みんな自分と同じように心の声が聞こえているものだと思い込んでいるが、実は他の人よりもその量が全然多かったり、全然少なかったりすることがあるのかもしれない。とても無口な人が心の中では自分の何十倍も呟いている、なんてこともあったりするのかもしれないと想像すると怖くもあり、面白くもある。どれくらいその差があるのかは分からないが、人によって多少の差は絶対あるはずだ。

 

 

 チャッターに悩まされてしまう時は、視野が狭くなっている時だ。だから同じような考えが堂々巡りをしてしまう。そこから抜け出すためにはまず広い視野を取り戻すことが大事だろう。

 

 本書では自分を第三者的な視点で見てみるとか、より大きな視点を意識してみるとか、その観点から多くの解決方法が紹介されている。その中で興味深かったのは、一人称ではなく自分の名前を使って自分に話しかける方法だ。「しっかりしろ、イーサン」などと自分の名前を使うだけで、一気に自動で客観的な視点に立ててしまえるらしい。いちいち第三者を想像したり、大きなものを考えたりする努力の必要がないので簡単だ。

 

 この手法は、矢沢永吉の「YAZAWAはなんて言うかな?」とか本田圭佑の「リトルホンダに聞いてみた」とか、割と有名人のエピソードでよく聞くものだ。彼らはそれが科学的に効果があるとは知らずにナチュラルに出来ているのだろう。面白エピソードも実は理に適ったものだったのかと感心してしまう。

 

 ただこれには問題があって、ナチュラルにやってしまっている天才はそれが効果的だったことに気付いておらず、「成功の秘訣は?」と聞かれたら「毎日トイレを素手で洗うことですかね」などと頓珍漢なことを言いがちなことだ。だが多くの人は素直にそれを信じてしまう。そして成功とは全く関係ない無意味なことに血道をあげる羽目になる。これは名選手必ずしも名コーチならずと言われる所以でもあるだろう。

 

 本書ではチャッターをコントロールする26の方法が紹介されている。だがどれもどこかで聞いたことのあるような一般的なものばかりで、特に目新しいものは無かった。ただナチュラルにそれが出来ない人にとっては、こうやって体系的にまとめられているのは助けとなる。チャッターに悩まされた時はざっと眺めて、すぐに出来そうなものから意識的にやってみると良さそうだ。

 

 常に広い視野を持つことは大事だが、嬉しい時も客観的な視野を意識したままだと喜びの実感が半減してしまう。だからそういう時は一旦それを忘れて、素直に思い切り喜んだ方がいいというアドバイスもあった。こっちの方が、チャッターを制御する方法よりも自分には心に響いたような気がする。どちらかに偏るのではなく、意識的に切り替えられるようにしたいものだ。

 

著者

イーサン・クロス

 

 

 

登場する作品

リンカーン(上) - 大統領選 (中公文庫)

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ソウ (字幕版)

ヘンリー・アダムズの教育 (1971年) (アメリカの文学)

狼たちの午後 (字幕版)

人生がときめく片づけの魔法 改訂版

 

 

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「逆ソクラテス」 2020

逆ソクラテス (集英社文庫)

★★★★☆

 

あらすじ

 決めつけで生徒と接する教師を懲らしめようと画策する小学生たちを描いた表題作他、子どもを主人公にした短編集。

 

感想

 子供たちをメインにした短編集で、読んでいて伝わってくるのは、世間の思い込みに対する反発だ。あの子は頭が悪いからできるわけがないとか、犯罪者の子供だから悪い子に決まっているとか、人はそれぞれ様々な思い込みを抱えて生きている。この短編に出てくる子供たちは、そんな他人の思い込みに抗い、ひっくり返そうと試みている。

 

 子供は、弱い立場だからそんな決めつけや思い込みを押し付けてくる大人に丸め込まれてしまいがちだ。そして、そういうものかと、同じような考え方をするようになってしまう。この短編集は、そうならないように気をつけろよと注意喚起しているようにも、その対抗策を教えてくれているようにも見える。大人でも参考になるが、子どもが早いうちにこれを読んでおくと色々と役に立ちそうな気がする。なんとなく親心を感じる本となっている。

 

「あ、でも、コーチがほら、イライラを発散させたいとか、感情を抑えきれないで怒鳴りたいだけでしたら、ぜんぜん構わないですからね」

p194

 

 そして単なる道徳的な良い話にするのではなく、時おりちょっと意地の悪い仕返しをするところが人間らしくていい。本当はそんなことはしないほうがいいのだろうが、いつも聖人みたいにはいられない。嫌味の一つぐらいは言いたくなるのが心情だ。「痛いのは集中してないからだぞ」と頭ごなしに選手を怒鳴りつけていたコーチが撃たれた時、集中してれば痛くないらしいですから、と励ます場面も面白かった。

 

 最初の短編はそうでもなかったが、後になるほどどんどんと面白くなっていった。テーマがあって統一感のある短編集なので、その相乗効果が効いてきたというのもあるのだろう。

 

 

 短編の中では、バスケチームのメンバーだった小学生たちのその後を描いた「アンスポーツマンライク」が良かった。小学生時代の試合の悔しさを大人になってから別の形で晴らす展開で、ラストはスポーツもののような爽快感があった。

 

 そしてこれは善きことが受け継がれていく物語にもなっている。教師の賢明な姿勢が主人公らに影響を与え、大人になった彼らも同じように次の世代に影響を与えている。そうやって名もなき人々の善き行いが広がって、気付かぬうちに少しずつ世界が善なる方向へと変わっていく。そんな様子が感じられるのは感動的だ。

 

 だから最近の政府から大企業へと着実に広がっている日本のモラルの崩壊ぶりは、この物語とは逆の方向に世界が変わっていっていることを示しているのだろうなと危惧してしまう。

 

 子供が大人の真似をするように、大人も組織のトップの真似をするようになる。だから真似されるような立場にいる者は、何よりもまずまともなモラルを持ち合わせていなければならない。自分がそんな大人になってしまっていないか、我が身を振り返ってしまう短編集でもあった。

 

著者

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登場する作品

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「裏声で歌へ君が代」 1982

裏声で歌へ君が代 (新潮文庫)

★★★★☆

 

あらすじ

 画商の男は、食事に誘った女を連れ、以前から招待されていた「台湾民主共和国」準備政府の大統領就任パーティーに顔を出す。

 

感想

 主人公が新政府樹立を目指す台湾の友人の大統領就任をきっかけに、国家と個人の関係について考えるようになる物語だ。二人はたまたま酒場で知り合い意気投合した仲なので、主人公は友人の政治活動を知った後もそれには深く関わらず、普通の友人としての関係を続けている。政治に対して人並みの関心しか持っていない主人公と政治に真剣に向き合っている友人、二人の姿は対照的だ。

 

 存在しない国の大統領というのも興味をそそるが、この他にもかつて右翼の大物の愛人だったという老婆や、無政府主義者で男前のスーパーの店長など、面白いキャラクターが何人も登場する。彼らとの会話を通して主人公は自身の考えを深めていく。政治の話は小難しくなりそうなものだが、昭和史の裏話的なエピソードや恋愛体験から導き出された国家観、国歌にまつわる怪しい話など、思わぬ話が次々と飛び出してくるので苦にはなることはなく、楽しみながら読み進められた。

 

 

 そんな数々の挿話からは、賄賂や裏取引が当たり前の政治の腐敗ぶりが見えてくるが、今も昔も大して変わらないのだなと残念な気持ちになる。昔の政治家は嘘でも体裁を保とうとしていたが、今は大衆を馬鹿にして開き直るようなったところが違いだろうか。酷くなる一方で自浄作用はないらしい。

 

 主人公は政治に無関心のつもりでいるが、いざ取り組み始めるとちゃんと深みのある考察が出来ている。戦争を体験し、分かりやすく政治に翻弄された世代なので、なんだかんだで色々考えてしまう機会が多かったのかもしれない。そもそもちゃんとした教養がある事も大きいだろう。今ならネトウヨと呼ばれるものになって終わりかもしれない。

 

 そしてただの無鉄砲な性格ゆえだと思い込んでいた自身の風変わりな人生も、意識して振り返ってみると、その岐路には主人公自身の政治的態度の影響が何度もあったことに気付く。

 

 結局、誰も政治とは無関係ではいられないということなのだろう。学校がくだらないのも、信号が全部赤なのも、そして行きつけの店のご飯がマズくなったのも、突き詰めてみればすべて政治の問題だ。政治には関わらないという態度ですらひとつの政治的メッセージになってしまう。主人公と付き合い始めた女はそれに気付いていた。

 

 そうであるなら、無自覚でいるが故に気付かず誰かに政治利用されてしまうよりは、自覚して振る舞った方がましだろう。別に裏声じゃなくてもいいが、ただ皆に従うのではなく、君が代をどんな風に歌おうか、または歌わないでいようかと、それぞれが意識的に考えるようになった時、日本は何かが変わるのかもしれない。

 

 終盤に始まった大統領の不審な行動はまるでミステリーのようで、最後まで引き込まれる展開が続く。話が進むにつれ、主人公がエスカレーター式だったはずの人生を何度も下りてきたことが明らかになるが、冒頭のシーンですでにそれを暗示していたことに気付いて唸ってしまった。読み応えのある物語だ。

 

著者

丸谷才一

 

裏声で歌へ君が代 - Wikipedia

 

 

登場する作品

水滸伝 一 曙光の章 (集英社文庫)

忠臣蔵【全5冊 合本版】 (角川文庫)

古今和歌集 (岩波文庫)(古今集)」

「隆達小歌集」

女の一生 (新潮文庫)

ナポレオン (潮文学ライブラリー)

唯一者とその所有 上 (古典文庫)

源氏物語絵巻 カラー

伊勢物語 (岩波文庫)

源氏物語 1 (河出文庫 か 10-6)

 

 

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「ケリー・ギャングの真実の歴史」 2000

ケリー・ギャングの真実の歴史

★★★☆☆

 

あらすじ

 貧しい移民の子としてオーストラリアで生まれ、理不尽な扱いを受けながら育った男は、やがて抑圧と戦う義賊となる。

 

 実在したオーストラリアのヒーロー、ネッド・ケリーを題材にした作品。ブッカー賞受賞作。

ネッド・ケリー - Wikipedia

 

感想

 実在したオーストラリアの義賊が主人公だ。幼少期から物語が始まるが、そこからひしひしと伝わってくるのは、未開の地における貧しい開拓者たちの過酷な生活ぶりだ。生活は不安定で両親は喧嘩ばかり、なのに子だくさんでいつも困窮している。しかも、主人公一族もそうなのだが周囲をうろつくのは荒くれ者ばかりで、犯罪や争いごとは日常茶飯事だ。家の中だけでなく外でも油断はできず、こんな環境でまともに子供が育つわけがない。

 

 そしてこの悪条件に拍車をかけるのが腐敗した警察の存在だ。逆に彼らは何か社会の役に立つことをやっているの?と聞きたくなるくらい、悪いことしかしていない。有力者の横暴を見て見ぬふりをして、貧しく弱い者たちには執拗に嫌がらせをする。確たる証拠もないのに逮捕したり、若い女に手を出したりする。

 

 

 彼らにもノルマが厳しいなどの何らかのやむを得ない事情があるならまだ分かるが、理由もなくそんなことをやっているのが恐ろしい。考えられるとしたら単なる暇つぶしだが、それはそれでたちが悪い。もともと未開の地だったし、中央からの目も届かない場所なのでやりたい放題なのだろう。西部劇に悪い保安官がよく出てくる理由が分かったような気がした。

 

 ただでさえ過酷な場所に、秩序ではなく不公平や理不尽をもたらすだけの公権力に人々が反感を抱くのは当然だ。主人公も自身や家族、仲間が何度もひどい扱いを受ける中で反発を強めている。権力と戦う義賊を助け、応援する土壌はすでに十分に出来上がっていた。

 

 主人公は十代を終える頃には何度か逮捕され前科者となっていたが、これは家庭環境や周囲の偏見、そして腐敗した公権力など、地域社会の総合力で彼を犯罪者に育ててしまったような印象がある。彼の立場に置かれたら、ほとんどの人は犯罪者になってしまうだろう。その経緯にはやるせないものがあった。

 

 そしてついに彼の社会に対する不満が爆発し、民衆のために力強く立ち上がったのかと思いきや、そういうわけではなかった。ある事件をきっかけに警察に追われる身となり、追い詰められていく過程で義賊のようになっていった。自らの意思で蜂起したわけではないので心湧きたつものはなく、こうなってしまった以上はもうやるしかないと、むしろ悲壮感が漂っていた。


 終盤で、ネッド・ケリーの代名詞とも言える(オーストラリアでは)有名な鉄仮面のエピソードも出てくる。これを付けて義賊として暴れ回っていたのかと思っていたが、最後の戦いで使っただけだったらしいのは意外だった。だが人々が語りたくなるようなインパクトのある姿だっただろうことは容易に想像がつく。

 

 最後は義賊によくある悲しい結末だ。爽快感のあるヒーロー活劇ではなく、彼の境遇に同情してしまうような物悲しさのある物語だった。だが小説ではあるが、大まかにしか知らなかった彼のことを詳しく知ることが出来たのは良かった。

 

 それから警察に追われる主人公らを、彼の妹たちがサポートしまくっていたのは意外性があって面白かった。こういう時、女はただ家に籠もって泣き濡れているだけ、そして二度と会うことはなかった、となりそうなところを、陰で彼らを支えまくり、何度も会いまくりと大活躍だったのは頼もしかった。唯一、この物語で爽快だったところかもしれない。彼女たちを主人公にしても面白い物語が出来るような気がした。

 

著者

ピーター・ケアリー

 

 

 

登場する作品

 

 

登場する人物

ネッド・ケリー

 

 

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「リンカーンとさまよえる霊魂たち」 2017

リンカーンとさまよえる霊魂たち

★★★☆☆

 

あらすじ

 幼くして病死した息子との別れを墓場で悲しむリンカーン大統領と、その様子を興味深そうに眺める成仏できない魂たち。ブッカー賞受賞作。

 

感想

 墓場にやって来たリンカーンの息子の霊と、それにざわつく周辺を漂っている霊魂たちの物語だ。すべての死者の霊魂が墓場にとどまっているわけではなく、ほとんどの者たちは次のステージへと進み、未練がある者だけが残っている。彼らはいわゆる成仏できない幽霊たちなわけだが、欧米にもそんな概念があるのだなとちょっと意外な感じがした。

 

 さまよえる霊魂たちは自らの人生を断片的に語る。成仏できないだけあって、彼らは満足な人生を送れなかった。思うような人生を送らせてくれなかった社会に対する不満も、そこには感じられる。偏見や差別のためにありのままの自分で生きられなかった者、愛する者を十分に愛し損ねた者など様々だ。そんな無念を互いに慰め合いながら、彼らは日々を過ごしている。

 

 

 そんな吹き溜まりような場所に、死んだリンカーンの息子の霊魂がやって来る。まだ幼かった彼は死というものが理解できず、父親の元にまた戻れるものだとばかり思っている。そこへ息子との永遠の別れを惜しむリンカーンが葬儀後の深夜に戻って来たから、霊魂たちは興味津々だ。少年が父親と共にまた元の場所に戻れるのかと、自身の姿を重ねながら期待と共に固唾を飲んで見守っている。

 

 だが当然、死者が生き返ることはない。状況が飲み込めず不思議そうな顔をしていた息子も、ついにはすべてを悟って次のステージへ旅立っていく。そしてこの一部始終を見ていた霊魂たちは、ついに観念せざるを得なくなる。とっくに気付いていたのに気づかない振りをしていた自らの死をとうとう受け入れ、次々と成仏していく。現実を直視して受け入れ、断腸の思いで別れを決意する親子の姿が、往生際の悪い他の霊魂たちの心を動かした。

 

 一方の悲しみに打ちひしがれていたリンカーンは、生きる者としてこの世でやるべきことをしようと固く誓う。南北戦争の激化で迷いが生じていた大統領が、戦争を早く終わらせるためにこれまで以上に激しく敵を攻撃しようと決断する姿は少し怖かったが、立派な偉人としてではなく、一人の苦悩する男として描かれる彼の姿にはリアリティがあった。

 

 そして大統領が、成仏していった霊魂たちの抱えていた無念を最後に取り込む展開は見事だった。様々な人々の社会に対する思いを理解していることは、政治家としての彼を大きくするはずだ。お友達や周りにいる人の気持ちしか分かろうとしない政治家なんかよりも何百倍も信頼できる。死んでいった者たちもきっと浮かばれる。

 

 引用文献を並べたような形式ですべてが書かれている特殊な小説で、時には学術書風に、時には台本ぽく演劇的になったりと興味深かった。墓碑銘を列挙して、それぞれの霊魂を紹介する場面などは面白かった。だが最後までこの特殊な形式に慣れることが出来ず、いまいち物語に入っていけないところはあった。

 

著者

ジョージ・ソーンダーズ

 

 

 

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「たった一人の反乱」 1972

たった一人の反乱 (1972年)

★★★★☆

 

あらすじ

 防衛庁出向を断って天下りした元経産省の男は、妻と死別後すぐに若いモデルと再婚するが、少しずつ彼の生活に異変が生じ始める。

 

感想

 昭和中期を舞台にした物語だ。だが最初は主人公らの暮らしぶりに戸惑ってばかりだった。主人公は地方の裕福な家の出で元官僚、天下りして今は企業の重役という、いわゆる上流階級に属する人なので、庶民とは生活や考え方が全然違う。

 

 家には女中がいて当然で、女性は生まれや育ちでキッチリと区別して、妾のタイプと遊ぶ。結婚は有力者とのコネクションのためにあり、そんな縁談を誰かが持ち込んでくるものだと思っている。なんだかフランスの貴族を描いた小説を読んでいる時と同じくらいカルチャーギャップがあった。

 

 

 序盤はそんな主人公の生活ぶりを興味深く読みながらも、でも単なる上級国民の身辺雑記みたいなものだなと思っていたのだが、読み進めていくうちにどんどんと引き込まれていった。主人公が若いモデルと結婚したことから生活に少しずつ異変が生じ始めるのだが、その微妙に変化していく過程を描くのが上手い。この人、以前はこんなこと言わなかったのにな、とぼんやり考えたりしている。

 

 またそこで雑談のように語られる話も面白く、しかもそれらが積み重なることで実はひとつの大きなテーマが見えてくる仕組みになっている。

 

 そのテーマとはタイトルの通り「たった一人の反乱」だ。最初は女中の反乱を描いているのかなと思っていたのだが、彼女だけでなく登場人物たちそれぞれが彼らなりの反乱を起こしていたことに気付く。よく考えれば主人公だって防衛庁への出向を断って官僚を辞めており、これも反乱だと言えるだろう。彼らの中では常識だった有力者の縁者の女性とではなく、若いモデルと再婚したのもそうだ。彼のもとに集まった人たちが気づかぬうちに相互に影響を与え合い、それぞれの反乱を起こしていく。

 

 主人公は官僚になるくらいだし、過熱していた学生運動にも懐疑的で、いわゆる保守的な人間だと言えるが、そんな彼にも彼なりに思うところがあり、無意識ながらもリベラルな部分も持っていることが分かる。積極的に壊そうとは思わないが、それでも現在の市民社会から逸脱してでも譲れない部分はある。

 

 この物語は「時計」が重要な意味を持っており、各所にそれが登場する。主人公の家には前妻が持ち込んだまま今は動かなくなった古時計があったが、新しい若妻によってその針だけが外されてしまい、時計の条件を満たさなくなってから、この家を訪れた人々それぞれの反乱が始まったことは色々と示唆的だ。

 

 じっくり読み込みたくなるような読み応えのある物語だった。

 

著者

丸谷才一

 

 

 

登場する作品

「群集の人」 「ポオ小説全集 2 (創元推理文庫 522-2)」所収

孤独な群衆 上 (始まりの本)

たけくらべ

告白 上 (岩波文庫 青 622-8)

我が秘密の生涯 (河出文庫) 

 

 

 

この作品が登場する作品

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