★★★☆☆
あらすじ
「ゴドー」と呼ばれる人物を待ち続ける二人の男。戯曲。
感想
いつまで経ってもやって来ないゴドーを待ち続ける二人の男の物語だ。彼を待ちながら時間つぶしに二人で雑談し、通りすがった男らと交流する様子などが描かれる。一応、悲喜劇とあるので笑えるようなシーンもあるのだろうが、戯曲だけではそれはあまり伝わってこなかった。実際に演劇で見たら面白いのかもしれない。
この戯曲は、最後までゴドーが現れないことがミソだ。それでこのゴドーとは誰なのだ?という話なのだが、巻末の解題によると、ゴドーとは「God(神)」のことだとする説もあると紹介されている。二人の男たちは、神の出現を待ち続ける人々のメタファーだとすると、不条理に思えた物語にも腑に落ちる部分が出てくる。途中でゴドーの使いを名乗る者がやって来るが、本物かどうかはわからない。これもまた時々現れるどこか怪しい自称・神の使者たちの比喩なのかもしれない。
それを足掛かりに考えていくと、この戯曲は人生そのものを描いているのかもしれないと思い至った。人々は毎日やって来ては何か食べ、誰かと話し、そして頃合いを見て帰っていく。人生とはそんな日々の繰り返しだ。次第にルーティン過ぎて昨日と一昨日の区別さえつかなくなっていく。いつもと違うことがあったとしても、もはやそれがいつのことだったか、正確には思い出せない。
そしてそれは死が訪れるまで続く。永遠にも思えるような日々の連続だが、気付かないくらいの速度で人々は少しずつ確実に老いている。ゴドーとは「死」のことなのかもしれない。彼がやって来たら人生は終わる。
なにか大層なことをやっているような気になっている人間だが、俯瞰で見てみれば他の動物たちと大して変わらないのかもしれない。人間とは、暇つぶしをしながら死が訪れるのを待っているだけの存在、と見ることもできなくはないだろう。
こんな風に、読んでいたら色んな解釈が次々と浮かんでくるのがこの戯曲の魅力なのかもしれない。登場人物の言動ひとつひとつに注目しながら読み込んでいけば、より深い考察が出来そうだ。
著者
サミュエル・ベケット
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