★★★★☆
内容
政治やビジネス、エンタメの世界から自分の人生に至るまで、なんでも「物語」的に解釈しようとする現代の風潮に対して疑義が呈される。
感想
なんでも物語として消化しようとする現代社会に対する批判が展開される。しかし、物語そのものを全否定しているわけではなく、物語化することのメリット・デメリットを示し、なんでもかんでも物語として理解しようとする姿勢に対して警鐘を鳴らしている。
どの指摘も納得させられるものばかりだったが、特に印象的だったのは、マイノリティがマジョリティーに理解を求める際、物語の提示を強要される、という点だ。これは確かにしんどい。マジョリティーが抱くマイノリティーに対する固定観念的な物語を改めさせるためには、それを上回る新たな物語を示さなければならない。それが出来なければ、理解できないから彼らの要求に聞く耳を持つ必要はない、と判断されてしまう。
<社説>アイヌ民族差別 尊厳奪う発言許されぬ:北海道新聞デジタル
また、現実世界は物語世界ほど単純ではないという指摘にも納得させられる。物語は一定の枠組みの中で構成されているが、現実世界にそんなものはない。現実世界も物語のようなものだと安易に考え、同じように接していたら、どこまでも際限なく深みにはまり込んでいく。そうやって気が付けば、陰謀論に囚われていた、という人もいるはずだ。
物語化には利点もあり、うまく活用すれば有意義になることもある。ただ、物語化する際に参照する物語の質には気を付けなければならないだろう。大人から子供まで楽しめる物語は分かりやすいが、往々にして内容は浅くなりがちだ。それが有効な場合もあるが、それだと単純すぎる場合もある。だから、偏ることなく色んな物語に触れておいた方がいい。
徹底した物語化批判が展開されるのかと思ったら、前半だけで終わってしまう。拍子抜けしてしまったが、その後は「物語化」以外の理解の方法が紹介されていく。物語ることは遊びの一種であるとして、別の「遊び」を通じた理解方法(ゲーム、パズル、ギャンブル、おもちゃ)が挙げられる。これらも物語化と同様にメリットとデメリットがあることが示されるが、これまであまり深く考えたとがなかっただけに、どれも興味深い言説だった。
責任感を持たない責任感。それは、一つの遊び方に没入し過ぎない倫理である。
p224
色々な方法を教えられると、結局どれがいいの?となってしまうが、それらを状況によってうまく使いこなせ、ということなのだろう。要するに、一つの方法に固執するなということだ。どれか一つだけを選べば人生は確かにシンプルになるが、気付かないうちに大事なものを切り捨て、他者を傷付けることになる。色んな理解の方法を適宜使い分け、さらにはそれで安心することなく、自分は間違っていないかと常に疑い続けること、それが大事なのだろう。複雑な世の中で、それを遊びのような感覚で、軽やかに実践できるといい。
著者
難波優輝
登場する作品
「歴史的説明の哲学的構造(The Philosophical Structure of Historical Explanation)」
「文化的政治の情動学(The Cultural Politics of Emotion)」
「心ー身の政治(The Mind-Body Politic (English Edition))」
サイボーグになる テクノロジーと障害,わたしたちの不完全さについて
物語思考 「やりたいこと」が見つからなくて悩む人のキャリア設計術 (幻冬舎単行本)
「力への意志(権力への意志: 全書)」
動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)
「アニメの知識文化(Anime's Knowledge Cultures: Geek, Otaku, Zhai (English Edition))」
