★★★★☆
内容
90年代後半、日本の音楽シーンから姿を消し、近年再び姿を現した小沢健二は、その間何をしていたのか。その謎を追う。
感想
90年代中盤、テレビに出まくっていた小沢健二は次第に露出を減らし、ある時ぷつりとその消息を絶った。売れなくなったアーティストと同じ軌跡ではあるが、アルバムごとにテイストを変えたり、原盤権を握るなどちゃんと考えてコントロールする頭の良い人でもあるので、生き残ろうとして必死に足掻いて失敗したのではなく、自ら去ったのだなというのは感じていた。
ただめちゃくちゃ熱心なファンだったというわけではないので、それに気づいたのは彼がいなくなってしばらく経ってからだったが。時々、懐かしい気分になって当時の彼の曲を聴いたりしていたが、ある時ふと「ある光」の歌詞がすっと頭に入ってきて、愕然としたのを覚えている。当時の彼の思いが生々しくストレートに表れていることに気付いて。
本書では、姿を消した後の小沢健二の様子を窺い知ることが出来る。華やかな舞台を自ら去って隠遁生活を送っていたというわけではなく、ニューヨークでパーティーに出席したり、NBAの試合を観戦したりと相変わらずの華やかな日々や、世界各地を旅したり住んだりと充実した生活を送っていたようである。しかし、Jay-Zと接点がある、というのは意外だった。
ある意味では、自分の関心のおもむくままに自由気ままに動く羨ましい生活である。しかし、きっと金銭的余裕もあるだろうから、自分は満たされているので他は知らん、みたいになりそうなものなのに、しっかりと世界の社会問題に目を向けているのが立派だなと思う。自分だけではなくて、世界を良くしたいと考えている。良い悪いという事ではなくて、これは性分なのだろうが。
そして、近年の大衆音楽への復帰。自分のやりたい音楽を貫いて生き残る人、皆の期待に応え続けることで生き残る人、そしてその中間でバランスをとりながら生き残る人、と様々なタイプのミュージシャンがいるが、彼は自分を自分で無くしてまで続けたくはなかったという事なのだろう。「裏切ったことで裏切らなかったこともある」という小沢健二の言葉は重い。
そして、自分で納得できるからこそ、表舞台に帰還した。それは復帰作の「流動体について」の歌詞を見ても読み取ることが出来る。「ある光」の内容と呼応する部分もあって、作品の中に素直な気持ちを反映していく人だという事が良く分かる。
小沢健二がネット上で公開して今は消されている文章なども紹介されていて、著者はよくそんなの保存していたなと感心してしまう。そういった数少ない文章やインタビューの断片から丁寧に様々な情報を読み取ろうとしていく姿勢に、このテーマに対する真摯さが感じられた。そして、小沢健二に対するリスペクトも伝わってくる。
今後の小沢健二の活動は、これまでのようにどうなるか分からない部分は多分にあるが、本人の意向を尊重して、納得した活動をしてくれればいいなと思っている。そして、これは本人の意向に反することなのかもしれないが、シングルとして発表するも今は廃盤となって、アルバムにも入っていない曲たちを、再び音源化して気軽に聴けるようにしてくれると嬉しいのだが。
著者
宇野維正
登場する作品
near, far 二階堂ふみ写真集 (SPACE SHOWER BOOKs)
ミルクチャンのような日々、そして妊娠!?―yoshimotobanana.com〈2〉 (新潮文庫)
Ecology of Everyday Life: Rethinking the Desire for Nature
「うさぎ! 沼の原篇 ひふみよ限定版 2010年夏」 小沢健二
「算盤の書」 レオナルド・フィナボッチ
「おばさんたちが案内する未来の世界 Old Ladies' Guide To The Future」