★★★☆☆
あらすじ
うっかり持ち帰ってしまったノートを返すため、少年は友人の家を探しにいく。
アッバス・キアロスタミ監督。コケール・トリロジーの第1作目。イラン映画。85分。
感想
幼い少年が、うっかり持ち帰ってしまったノートを返すため、友人の家を探し歩く物語だ。まずなぜ他人のノートを持ち帰るのか不思議だが、子供ならあり得そうな話ではある。
学校から帰宅し、不測の事態に気付いた少年は不安を覚えるが、母親は「とにかく宿題を済ませなさい」と取り合ってくれない。だが彼女は厳格なくせに、「赤ちゃんを泣き止ませて」とか「あれを取ってきて」とか、宿題をやっている少年に何かと指示して手伝わせようとするのが可笑しい。かつてはきっと世界中の子供が、こんな風に親の手伝いをさせられていたのだろう。
母親の目を盗み、ノートを持って家を飛び出した少年は、友人の家をたずね歩く。彼は幼いのにしっかりとしていて、道行く人にたずねたり、ここだと思えば粘り強く確かめる。その必死さと健気さに感心してしまう。少年の思い詰めたような表情も良い。彼にとってこれがとても重大事であることが伝わってくる。
冒頭に、風で揺れる教室のドアが長々と映し出されるシーンがあるが、この映画は少年のドアをめぐる冒険物語だと言えるだろう。家のドアの向うには各家庭の小さな世界がある。また逆から見ればドアの向うは広い世界だ。少年はドアを開けて広い世界に飛び出し、ドアをノックすることで他者の世界とつながっていく。
冒険の途中で少年が出会う、鉄のドアを執拗に売ろうとする男と、昔を懐かしむ年老いたドア職人が対照的で、そして象徴的だ。自分と世界をつなぐドアは、固く閉ざすことができるがっちりとした鉄製よりも、どこか人を呼び寄せるような木製の方がいい。うまくいかないこともあるかもしれないが、それでも野花の押し花のように、心が明るくなるような何かが残る。
小さな冒険をした少年が、多くを学び、大きく成長する物語だ。
スタッフ/キャスト
監督/脚本/編集 アッバス・キアロスタミ
出演 ババク・アハマッドプール/アハマッド・アハマッドプール/ホダバフシュ・デファイ/イラン・オリタ/ラフィア・ディファイ
音楽 アミン・アラ・ハッサン
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