★★★★☆
あらすじ
東京郊外のアパートのある部屋の歴代の住人たちの物語。
感想
まず設定が面白い。あるアパートの一室に焦点をあてた物語。歴代の住人、13組が登場する。ただし時系列に沿って歴史を語るのではなく、時間を行ったり来たりしながら住人たちのエピソードが語られていく。
考えてみればアパートやマンションの同じ部屋の歴代の住人というのは、共通の話題があるので集まってみれば話が盛り上がりそうだ。あの部屋の障子の開け閉めはコツがいるとか、風呂の水が微妙に漏れるとか。隣人や近所の様子なども話題にすることが出来るだろう。なのに当人たちはまず顔を合わすことはないわけで、何かもったいないような気がする。
様々な歴史がアパートに刻まれていき、少しずつ変更も加えられていく。住人達もそれを感じていて、きっと前の住人がこんな意図で変更を加えたのだろうと勝手に想像している。だけど実は全然違う意図だったり、前の住人ではなく前の前の住人の仕業だったりするのだが、当人たちはそんな事は分からないので勘違いしたまま、別に困ることなく暮らしている。よくある話だが、真実を知っているとなんだか滑稽で面白くもある。
歴代の住人たちそれぞれのエピソードや住人間の同じようなエピソード、引っ越し初日や風邪を引いた時などある出来事に関するそれぞれのエピソードと次々と語られていく。時代は違うが同じ場所で、様々な年齢・性別・国籍の人たちが、それぞれ同じことを考えたり、同じことに対して違うことを考えたりとしている様子を見ていると、人間は同じようで違って、違うようで同じなのだなと、だんだんと達観するような気持になってきた。
長い間住んだ夫婦が転居の準備をしている時に、入居した時と同じシチュエーションに遭遇して当時を思い出し、だけどその時より相手の顔が随分老けたなとしみじみと感じるシーンはなかなか感慨深かった。普段は何も意識していないが、ふとした瞬間に時の流れに気づく。
50年にわたるアパートの物語を、その時々の流行や世相、風俗を取り入れて描かれているのも面白い。しかも誰もが覚えている事ではなく、少しマイナーなものを取り上げているのもいい。
睡眠と風邪薬との間の効き目の差は、マクラーレン・ホンダとミナルディ・コスワース間の周回遅れくらいある。
p66
この例えはどれくらいの人間が分かるのだろうかと思ってしまうのだが、でもそれがいい。その他にも、時代による蛇口の変遷など、誰も気にも留めず見過ごしてしまっていそうなことが丁寧に描かれている。大きな変化だけではなく小さな変化の積み重ねもその時代を形作っている要因だ。
そしてきっとそれは人生も同じで、何をしていたか忘れてしまうような一日だってかけがえのない人生の一部だ。そんな日を軽んじないで大事に生きることが重要なのかもしれない。
著者
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