★★★☆☆
あらすじ
恋人が突然亡くなるも、その家族らに葬儀への参加を断られてしまうトランスジェンダーの歌手。チリ映画。アカデミー賞外国語映画賞。
感想
恋人が突然死んでしまっただけでもかなり辛い事だが、主人公がトランスジェンダーというだけで、その上、あらぬ疑いをかけられて色々と詮索されてしまうのは相当しんどい。さらにその疑いを晴らすために嫌な思いまですることになる。それに加えて、恋人の家族には葬儀に参列する事すら拒否されてしまう。こういう話は不倫の場合にもよく聞く話だが、普段は気にしていなくても、こういう人生の節目には公的書類がものをいうのだなと実感する。
そもそも死んだ恋人は離婚していたようだが、なぜ元妻が当然のように主導権を握って諸々を取り仕切っていたのかがよく分からない。彼女も書類上は主人公同様、赤の他人になると思うのだが。ただ彼女と死んだ元夫の間の息子が喪主のような役割を果たすはずだから、その関係で仕切っているという事なのかもしれない。最初は遠慮がちに主人公と接していたのに、次第に主人公に対して偏見や悪意をむき出しにしていく彼らの姿は恐ろしかった。
そんな親族や警察の酷い扱いに対して、主人公が冷静に対応する様子には感心してしまう。きっとそういう偏見を何度も経験して慣れてしまっているのだろう。悲しい現実だ。それでもちょっとぐらいは皮肉を言ったり悪態をつきたくなりそうなものだ。相手に合わせて自分の品位まで落とすことはないという彼女の矜持を感じた。強風に抗って歩く姿だったり、揺れる鏡に映し出される自分を見つめる姿だったり、時おり差し挟まれる主人公の心境を象徴するようなシーンが印象的だった。
考えてみれば、主人公には何一つ良い事は起きない物語だ。何かの希望をもたらしてくれるかと期待した恋人が残した謎の鍵の件は、肩透かし感が半端なかったが、勝手に何かに期待するなという事なのだろう。そんな中でも、死んだ元恋人との自分なりの別れを済ませ、新たな一歩を踏み出そうとする彼女の姿はとてもたくましく、そして凛々しかった。人生とは何かを期待して待つものではなく、自ら切り開いていくものだ。
スタッフ/キャスト
監督/脚本/製作 セバスティアン・レリオ
製作 フアン・デ・ディオス・ラライン/パブロ・ラライン/ゴンサロ・マサ
出演 ダニエラ・ベガ/フランシスコ・レジェス
音楽 マシュー・ハーバート
ナチュラルウーマン (2017年の映画) - Wikipedia