★★★★☆
あらすじ
コロナ禍で心細くなった単身赴任中の夫から北京に呼び寄せられた20歳年下の若い妻。
感想
主人公は元ホステスで夫は20歳年上、ブランド好きで今を楽しんで生きようとする女だ。勉強は出来なさそうだが頭はきっと悪くなく、動物としての直感が優れていて、上手く生きて行けるようにみえる。感覚的で、いかにも「パッキパキ北京」とか言いそうなキャラクターだ。きっと短文系のSNSをやらせたら上手い。
そんな今いる環境で最高を目指す、いわばマイルドヤンキーのような主人公が、夫の単身赴任先の北京で暮らすことになる。彼女は、旅行はしても北京に住もうとは絶対に思わないだろうタイプだ。本当だったら住むことなどなかったはずの彼女の北京での暮らしぶりが描かれていく。独自の感性と語り口で綴られる北京の見聞録が面白い。
街や人々の様子の他に、中国だけに食レポみたいなパートも多い。レストランで、頭がついたままの鶏料理が出てきて卒倒した話などは笑ってしまった。主人公のキャラ的には感覚として感じるだけだろうことを、キッチリと言語化していく。楳図かずおになっちゃうからと、日本ではやらなかった赤白ボーダーの服を着てみた話も面白かった。
北京での日々の中で、主人公の危うさや歪さも浮き彫りになってくる。主人公の生き方は即物的で、今いる場所でベストのポジションを得ることを目指している。だからマウントも取るし、ブランドが好きなのもそのせいだ。冒頭の友人たちとマウントを取り合うだけの送別会は、かなり壊れた世界だった。
だが主人公は、必ずしもいつも優位に立てるわけではない。そんな時は魯迅の「精神勝利法」的な考え方でやり過ごす。負けている状況でも勝っていると思い込むことで心の安定を図るやつだ。知らずにやっていたことを夫に指摘されて気に入り、彼女はそれを突き詰めようと決意する。だがそれってただ生きているだけの動物と変わらないのでは?と思ってしまった。動物扱いする人間にいいようにされるだけだ。
どんな環境でも最適化を目指す彼女にも譲れないことがあった。それが、子どもを作りたくない、という事なのは、動物的な生き方をしてきて、さらに動物の境地を目指そうとする彼女には意外な気がした。子供に自分の幸せを奪われたくないからいらない、というのは動物から最も遠い考え方なので、実は彼女はとても人間的なのかもしれない。なんだかよく分からなくなってきた。
自分の意志を尊重し、主人公は最後にかなりの決断をする。将来が不安ではあるが、それはそれで悪くないような気もする。彼女ならなんだかんだで上手くやっていけそうだ。
おもしろ北京滞在記を楽しみつつ、人生について考えさせられてしまう小説だ。
著者
綿矢りさ
登場する作品
「阿Q正伝」
*所収