★★★☆☆
あらすじ
中国激動の時代を生きる上海の人々の様子が、三人の男性を通して描かれる。
感想
中国・上海の現在(90年代頃?)と過去(60~70年代)が交互に描かれていく。三人の男がメインとなっているが、全体を貫く物語があるわけではなく、彼らの周辺で起きた数々のエピソードが次々と語られていく形式の物語となっている。まるで皆でテーブルを囲んだ時の会話のように、話題があちこちに移りながら進んでいく。タイトルの「繁花」の通り、話に花が咲いているかのような展開だ。
共産主義体制が確立し、文化大革命が始まりと激動していく上海で、人々がどのように生きてきたかが記されている。それらは政治的でも批判的でもなく、ただ庶民の視線から淡々と描かれている。ほとんどの庶民は時代の激流に抗うことなく身を任せ、その中で懸命に生きているだけだ。あとから振り返れば酷いことだったとしても、その時はそうするしか仕方のなかったことだってある。
たくさんのエピソードが語られていくが、自分があまり中国・上海の文化・風習をちゃんと理解していないせいなのか、彼らが何をしているのかがよく分からない場面が多かったのが辛かった。登場人物たちのリアクションを見て、楽しい場面だったのか悲しい場面だったのかをようやく把握する感じだった。これは修羅場のようだがこの人は誰の何に怒っているのだろう?等と、その確認作業をしているだけで、残念ながらあまり物語を純粋に楽しむことは出来ないことの方が多かった。
そんな中でも印象的だったのは、現代の人たちが皆、何かしらの商売をやっていることだ。しかもそれは家業だからでも、社会的使命を感じたからでもなく、儲かりそうなら何でもやるという方針なので、結局何をやっているのか分からない人だらけになってしまっているのが面白い。
日本でもタピオカだ、マリトッツォだと流行りものに手を出す人がいるようなもので、要は商売人のマインドを持っている人たちだということだろう。彼らの上海語が、関西弁に訳されているのにも納得してしまう。日本でもこういうマインドを持つ人がもっと増えれば、経済にも活気が出てくるような気がする。なりたい職業の一位が公務員になっちゃうようでは先が知れている。
過去と現在を行き来する物語を読みながら感じるのは、中国は激動の時代を過ぎ、過去を振り返る余裕が生まれてきたのだなということだ。しんどい時代をがむしゃらに生きてきた人たちがようやく一息つき、よく頑張ったよな、としみじみと昔を思い出しているかのような印象がある。昔の映画や本のタイトルが頻出するのも、それらをノスタルジックに懐かしんでいるからだろう。日本だと70年代くらいにあった感覚だろうか。
そんな中国も、「とにかく昔は大変だった」から「昔は貧しかったが良いこともあった」と変化し、ついには今の日本のように、「昔は豊かだった」とか言い出してしまう時代がいつか来るのだろうかと考えたりした。
著者
金宇澄
登場する作品
「肉腿」 豊子愷
「春蘭秋蕊」
「金陵 春の夢」
「侍衛官日記」
「皮五辣子」
「西廂記」
「魔雅傣」
彭公案(简体中文版): 中华传世珍藏古典文库 (Chinese Edition)
「春秋」
「盤夫索夫」
「萬有文庫」
「春風と百万紙幣」
「三人行」 茅盾
「変態心理学」 朱光潜
「今日は休みだから」
「青春の歌」 楊沫
「平冤記」
「雍正剣侠図」 常傑淼
「現代詩抄」 聞一多
「Méditations poétiques (French Edition)(随想詩集)」
「梅その二」 楼槃
「李琴泉をおくる」 呉大有
「グレーのコートを着た三人」 ドボルヴォルスキ
「MTS所長と主任農業技師の物語」 ニコラーエヴァ
「愛の科学」
「紅色娘子軍」
「青春の歌」
「飛び込み選手」
「星星之日」
「中二階の若奥さん」
「姉妹よ、立ち上がれ」
「十二の椅子」
「夜夜春宵」
「上海戦」
「ドナウ河のさざ波」
「日の出」
「再臨」 イェイツ
「ドン物語」 ショーロホフ
「ネオン下の歩哨」
「春風と百万紙幣」
「革命家庭」
「ルスランとリュドミーラ」 プーシキン
「九成宮」 編 豊子愷
「匪賊を追って砂漠へ」
「荒野のなかで」 穆旦
「北の国の物語」 無名氏
「塔に生きる女」 無名氏