★★★☆☆
あらすじ
戦争に行った夫の帰りを待ちながら、光アレルギーの子供二人と広大な屋敷で暮らす女は、ある日やって来た三人の使用人を雇い始める。104分。
感想
広大な屋敷で色素性乾皮症のため光を避けなければならない子供二人と暮らす女が主人公だ。子供を守るためにカーテンを締めきり、各部屋に毎回鍵をかける彼女らの暮らしぶりには、すでに異様で不穏な気配が漂っていた。
主人公は、求職にやって来た三人の男女を使用人として迎え入れるが、やがて彼ら以外の何者かが家をうろつく気配に気づき、悩まされるようになる。どちらかというと、家族だけで暮らしていた時の方がそれに気づき来やすそうなものだが、他者がいることでそういう気配に敏感になるものなのかもしれない。
最初は霊的な存在を訴える娘の言葉を子供の戯言だと全く相手にしていなかったのだが、誰もいないはずの上階で足音がしたことから主人公は信じるようになる。そして家の中の捜索を始める。
だがそんな捜索が、戦争に行っていた夫が戻ってきたことでなし崩し的に終わってしまったのは不可解だった。夫の帰還が嬉しいのは分かるが、それとこれは別の話だろう。おかげでその後の物語の方向性があやふやになり、見えなくなってしまった。
ただそれでも、カーテンで閉ざされた陰気な邸内、無表情で存在感が希薄な使用人たち、色白で薄気味悪い主人公一家と、ホラー的な雰囲気はたっぷりと漂っている。家に残る死者の写真集にはゾッとした。大きな音で驚かすような古典的なシーンもある。
序盤からのどこか違和感のある展開に、なんとなく結末は想像が出来ていたのだが、お前も?お前たちもかい!とツッコみたくなるようなクライマックスは、その想像を超えてきていい驚きがあった。日本の座敷童もこういう解釈が出来るのかもしれない。
他者を拒んで閉じられた空間で過ごしていると、自明のことすら気付かなくなるから危険だ。主人公は使用人を迎え入れることでそれに気付くきっかけを得た。多様性は大事だ。フィルターバブルとか、エコーチェンバーとかいった言葉を思い浮かべてしまう映画だった。
スタッフ/キャスト
監督/脚本/音楽 アレハンドロ・アメナーバル
製作総指揮
リック・シュウォーツ/ポーラ・ワグナー/ボブ・ワインスタイン/ハーヴェイ・ワインスタイン
出演 ニコール・キッドマン/フィオヌラ・フラナガン/クリストファー・エクルストン/エレイン・キャシディ