★★★☆☆
あらすじ
映画のロケ撮影が行われる中、役を与えられた雑用係の男は、思いを寄せる相手役の女性を口説き続ける。
アッバロ・キアロスタミ監督。コケール・トリロジーの第3作目。イラン映画。103分。
感想
トリロジー最後の作品で、前作を撮影中のロケ現場での話、という設定になっている。前作も最初の映画を撮影後の話という設定だったので、1作目を撮った監督の話(2作目)を撮っている現場の物語(3作目の本作)、という多重構造になっているのが面白い。
前作の監督が役者として登場し、それを撮る監督も登場する。実際にはそれを撮っている本物のアッバス・キアロスタミ監督もいるわけで、似たような顔の人間が現場に三人もいたのかと想像すると可笑しい。
前作で新婚夫婦のシーンに登場した若い男が主人公だ。後に新婦役となる女性に一目惚れして、彼女の両親に結婚の許可を求めるが断られ、両親が震災で亡くなった後は保護者となった祖母に許可を求めるも再度断られ、そのせいか本人にもずっと無視されている。
主人公は家がなく、文字も読めないからという理由で結婚を認めてもらえない。「家がない」とはどういう状態なのか不明だが、住所不定で野宿しながら暮らしているということなのだろうか。ただ村のコミュニティには受け入れられているようなので、特殊なことではなさそうで、そういう階層の人たちが一定数いるということなのだろう。
娘の保護者が結婚を認めないのは簡単に理解できる。だが主人公はまったくあきらめない。保護者である祖母に何度も許可を求め、そして撮影当日は合間に何度も本人にアタックする。
監督に語っていた「社会的弱者は強者と一緒になるべきだ」という彼の主張は面白いし、合理的ではあるが、人は世の中のためではなく、自分や家族のために生きているから実現は無理だろう。ただイラン社会の格差や貧困の状況、また社会的弱者のマインドが垣間見える発言ではあった。
二人きりになる撮影現場で話しかけられている間、女性はずっと無視を続けている。それでもアピールを続ける主人公のハートの強さには感心してしまう。女性の態度はひどいなと思ってしまうが、風習として未婚女性が男と話すのは良くないことだとされているのだろう。
一言も私語を交わすことなく撮影は終わり、女性はひとりでそそくさと歩いて帰ってしまう。あきらめきれない主人公は後を追い、必死に話しかけ続ける。ここまでくると主人公は情熱的というよりもしつこいストーカーにしか見えず、無視を続ける女性にキレて何かとんでもないことをしでかすのではないかと、不安でしょうがなかった。犯罪の匂いがぷんぷんとする。
無言で歩く女と必死に追いすがる男、二人の姿がオリーブの林をぬけて、草原の向うに消えそうになるまでを、カメラが遠景でとらえ続けるシーンがラストだ。そのまま点と消えて終わってしまうのかと思ったところで、男が軽快な足取りで戻ってくる。
そこで映画は終わるので何があったのかは分からないが、主人公の様子から考えるときっとハッピーエンドなのだろう。胸をなでおろすようなほっとした気分になるが、一方でこの展開でハッピーエンドになるのかと腑に落ちないところもある。文化の違いなのだろうが、ストーカーを量産しそうなシステムなので改めた方がいいのでは?と思わなくもない。
スタッフ/キャスト
監督/脚本/製作/編集 アッバス・キアロスタミ
出演 ホセイン・レザイ/ファルハッド・ケラドマンド/モハマッド・アリ・ケシャワーツ
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