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個人的な映画・本・音楽についての鑑賞記録・感想文です。

「クルーシブル」 1996

クルーシブル (字幕版)

★★☆☆☆

 

あらすじ

 少女たちの他愛のない遊びがやがて魔女裁判へと発展し、不安と恐怖が村を包み始める。

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 1692年にアメリカで起きた「セイラム魔女裁判」を題材にした、アーサー・ミラーの戯曲を映画化した作品。

セイラム魔女裁判 - Wikipedia

 

感想

 少女たちが禁じられている他愛のない遊びに興じていたことがバレてしまい、それを取り繕おうとしたことがきっかけとなって、村中を巻き込んだ魔女裁判が行われることになってしまう。正直、この一連の流れが良く理解できなかったのだが、キリスト教的世界観を自分がよく分かっていないからだろう。しかし少女たちが最初に恐る恐る生贄に差し出す犠牲者が、村でつまはじきにされている一番の弱者たちだったというのが妙に生々しい。人間の醜さが良く表れている。

 

 少女たちは、人々が自分たちの言葉を信じることに気を良くして、次第に増長していく。ウィノナ・ライダー演じるリーダー格の少女に従い、集団で悪魔が見えるかのように演技し、次々と村人の名前を挙げていく様子は、まるで全能感に酔っているかのようだった。これまた醜い。

 

 

 ただ彼女たちが皆で息を合わせて悪魔の恐怖に怯えたり、失神して見せたりする演技の様子はまるで吉本新喜劇の集団芸のようで、思わず吹き出してしまう。皆が真剣にやっているのにそんなことで笑ってしまうのは不謹慎かなと思ったが、嫌疑をかけられた村人の中に同じようなことを指摘している人がいて、少し安心した。ただ、こういう本当のことを指摘できる人はいつも損な立場にいて、報われることが少ないのは悲しい。

 

 そもそも、なんで皆が少女たちの言葉を無条件で信じてしまうのかがよく分からない。集団ヒステリーの可能性が高いのは明らかなのだから、彼女たちを集団で扱うのではなく、まずバラして一人ずつに話を聞くべきだった。それぞれの話が食い違い、矛盾があることに気付いて嘘だと見抜けたはずだ。なんでいつまでも彼女たちを十把ひとからげでまとめておくのだとイライラしてしまった。

 

 そして彼女たちの言葉を鵜呑みにして、魔女裁判を執り行ってしまう大人たちも信じられなかった。最初はデタラメだと分かった上で自分たちの都合が良いように彼女らを利用しているのだと思っていたのだが、どうやらマジで信じているらしいと分かってきて驚愕してしまった。しかもかなりの人間がすでに犠牲になってしまった後でようやく過ちに気付き、慌てふためいているのがダサすぎだった。馬鹿な権力者ほどタチの悪いものはない。しかしこれは稀なことではなく、いつの時代でも恒常的によくある話だ。

 

 魔女裁判は、信心を捨て悪魔に魂を売った者が処刑されるはずなのに、実際には信心が強すぎて嘘の供述が出来ない者だけが処刑されてしまうという仕組みになってしまっている。信心ゆえに処刑され、信心がなかったと汚名まで着させられるなんて浮かばれなさすぎだろう。やるせない。

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 実際に起きた事件を題材にしているので仕方がないのだが、魔女裁判自体の意味がまったく分からず、全然物語を受け付けられなかった。キリスト教文化圏の人たちはこの理不尽さを受け入れられるのだろうか。映画の出来自体はそんなに悪くないのかもしれないが、それ以前にストーリーが胸糞悪すぎて気分が悪かった。

 

スタッフ/キャスト

監督 ニコラス・ハイトナー

 

脚本 アーサー・ミラー

 

原作 アーサー・ミラー〈2〉るつぼ (ハヤカワ演劇文庫 15)

 

出演 ダニエル・デイ=ルイス/ウィノナ・ライダー/ジョアン・アレン/ポール・スコフィールド/ブルース・デイヴィソン/ジェフリー・ジョーンズ/ピーター・ヴォーン/シャーレイン・ウッダード/フランセス・コンロイ/ジョージ・ゲインズ

 

編集    タリク・アンウォー

 

クルーシブル - Wikipedia

 

 

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