★★★★☆
あらすじ
音楽界で確固たる地位を築いてきた世界的な女性指揮者は、親密だった教え子が自殺したことをきっかけにして、すべてが狂い始める。158分。
感想
世界的な女性指揮者の姿を描いた物語だ。主人公は才能に驕ってプライドが高く、傲慢に振る舞う女性なのかと思ったが、礼儀正しく振る舞い、人付き合いも如才なく行っていて意外だった。だが指揮者という職業は、自分の見られ方を気にしたり、有力者との付き合いをうまくこなすこともまた重要な能力の一つなのだろう。大勢の人が関わる仕事だけに音楽の才能だけではやっていけない。
序盤は、オーケストラの練習の指導をしたり、学生に授業を行なったり、自伝の宣伝をする主人公の仕事ぶりが描かれていく。そこから見えてくるのは、彼女の音楽に対する真摯な姿勢だ。どんな仕事でも自身の全力を注ぎこもうとしているのが伝わってくる。
そんな中で生徒を吊るし上げたり、長年働いてきた副指揮者を解雇したりと波紋を呼びそうなこともしている。だがこれも音楽に対するストイックさゆえのように思える。長年の経験から得た自分の音楽への取り組み方をすべて生徒に伝えようとする姿勢は誠実だし、才能のない人物を仕事から外すのは当然のことだ。やり方に問題はあるかもしれないが、悪いことをしているようには見えない。
だが、教え子が自殺したことがきっかけとなり、彼女に対する告発や批判が巻き起こって立場が危うくなる。彼女はその教え子と親密になった後、何らかのトラブルがあって業界から教え子を干そうとしていたことが判明する。詳細は描かれず、どんな関係だったのかは曖昧なので判断に迷うところだが、現在進行形で起きているオーケストラの新メンバーとなったチェリストに対する執心ぶりでなんとなく想像できてしまう。
主人公は能力ではなく、個人的な好みでこのチェリストを評価した。そこに私情を持ち込んだ彼女の利己的な側面が垣間見える。ただ、芸術は数値では判断出来ないものなので、たとえチェロの能力がわずかに落ちたとしても、主人公の気分が上がり、いつのも何倍もの能力を発揮できるのならば、全体としてはプラスで、それはそれでありな気もしてしまう。
彼女がインタビューで答えていたように「愛を選んだ」ということになるのだろう。もちろんそこで権威をかさに着て相手に何かを強要してはいけないが、その感情を内心にとどめておくだけなら問題はない。
誹謗中傷にさらされ、自暴自棄になって問題を起こした主人公は活躍の場を失ってしまう。世界的な芸術家がキャンセルされてしまう物語だが、単純に主人公を叩けばいいのだろうかと考え込んでしまう。芸術は様々な感情の中で生まれるものなので、分かりやすく白黒がつけられないものもある。
孤高の指揮者を演じるケイト・ブランシェットが圧巻だ。そして、才能だけでなく、政治や人間関係、それぞれの思惑が交錯しながら動く業界の様子が垣間見られるのも興味深い。主人公を陥れようとしている人たちは、結局、彼女と同類であるとも言える。
いつも周囲の雑音を気にしていた主人公が、ピアノの音がうるさいと逆に大家に言われてしまう終盤のシーンは皮肉だった。興味のない誰かにとっては、彼女が真剣に取り組んでいるものは騒音でしかない。実際の話、同じフレーズを何度も繰り返す他人の練習中や作曲中の音を延々と聞かされるのは苦痛に違いないが。
分かりやすく説明するような描写は少なく、断片的なシーンの中にいくつもの暗示が埋め込まれている。何度も見ることで理解が深まっていくような意味深な映画だ。そして、何度も見たくなるような映画でもある。
スタッフ/キャスト
監督/脚本/製作 トッド・フィールド
製作総指揮/出演 ケイト・ブランシェット
出演 ノエミ・メルラン/ニーナ・ホス/ジュリアン・グローヴァー/マーク・ストロング/
音楽 ヒドゥル・グドナドッティル
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