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「われら」 1921

われら (集英社文庫)

★★★☆☆

 

あらすじ

 皆が同じようにして暮らす全体主義国家において、一人の女性に恋をしてしまった数学者。

 

感想

 舞台は極度に合理化が進んだ社会。名前はなく皆が番号で呼ばれ、それぞれがいちいち何も考えなくて済むように、皆が同じ時間に起き、同じ服を着て仕事に出かけることになっている。皆同じなので、誰かと比較して不幸を感じる事はないはずだ。心穏やかに暮らせる、この上なく素晴らしい社会だと喧伝されている。

 

 しかし、皆が同じことをしているのだから、何も隠す必要はないだろうということで、皆をガラス張りの部屋に住まわせるというのは徹底している。まるで建物自体が一つの生き物で、それぞれの部屋はその細胞のよう。これをもっと大きく捉えれば、社会全体がひとつの生命体と言っていいのかもしれない。全体主義社会では、もはや「私」というものはなく「われら」しかいない。

 

 

 主人公は数学者ということもあり、合理的で無駄のない社会の正しさに清々しさを感じていたのだが、一人の女性に恋してしまったことによりその価値観が揺らぎ始める。効率的な社会では恋愛は不要とされ、ただ適当なパートナーを上から定期的にあてがわれるだけ。そんな中で誰かを独占したいだとか、個人が主張するのはとんでもない事だ。いけない事だと理解しながら、それに抗えない感情に戸惑う主人公。

 

 ただよく見てみるとこの主人公だけでなく、その周囲の人物たちも決して完全に全体主義に順応してしまっているわけではない事に気付く。主人公にあてがわれたパートナーの女性や受付の女性も、社会システムと自らの感情の間で揺れている。テロ騒ぎが起きたときの大衆の様子を見ていても、皆が決して従順ではなく心に引っかかるものを抱えていることが窺える。考えてみれば、そんな簡単に大衆の心を支配できるわけがない。独裁政権が何かのきっかけで、あっさりと倒されてしまう事があるのもそのせいだろう。

 

 とはいえその逆を返せば、完全に人の心を従わすことができなくても、全体主義の社会が作れてしまうという事でもある。大きな流れが出来てしまうと、誰も抗うことができなくなり、それに飲み込まれてしまう。これは怖い。その前に流れを止めなくてはいけないのだが、皆の気付くタイミングが同じでないことがネックになってくる。いち早く危険を察知して警告を発する人たちが現れたとしても、大げさだ、心配し過ぎだ、と彼らをあざ笑う人たちも必ず出てくる。そして結局、両者が対立している間に波に飲み込まれてしまった、というのはありがちな話だ。それに無自覚に従順な人も多い。

 

 最後はディストピア小説らしい、なんとも言えない結末。微分積分だとかルートだとか数学用語が出てきてちょっと不安になったが、分からなくてもそんなに物語に影響はなかった。逆に、かつての詩は無意味だったと言いながら、それでも”効率的な”詩が存在する世界を設定し、詩的な表現をふんだんに使って物語を描く著書は、本当に詩が大好きなんだろうなと思わせられた。

 

著者

エヴゲーニイ・ザミャーチン

 

われら (集英社文庫)

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われら - Wikipedia

 

 

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