★★★☆☆
あらすじ
世界の終末を告げるため、神エホバに大都市に向かうよう命じられた靴職人・ヨナ。
旧約聖書の「ヨナ書」を題材にした作品。
感想
堕落した大都市へ行き、神の怒りによって滅ばされることを伝えるよう命じられた男が主人公だ。神からの啓示とはいえ、それを知らない人からしたら単なる悪い冗談でしかなく、まともに聞いてくれるわけがないと考えるのは当然だろう。
それに聖職者や政治家ならまだしも、ましてや主人公はしがない一介の靴職人だ。自分の言葉など誰が信じるのか?と思うのも不思議ではない。ヤバい奴だと思われるのがオチだからと行きたがらず、使命から逃れようとする主人公の気持ちはよく分かる。
物語は終始、このような主人公の人間味あふれる姿が描かれていく。思わぬ収入があればつい酒を飲み、女さえ買おうとする。イヤなことは何かと理由をつけて避けようとするし、やるべきことからは逃げようとする。他人をすぐに見下したり、蔑みもする。なんとなく町田康の小説を思い出してしまうような、人間の業を感じさせる人物だ。
この傾向は、物語が佳境に入っても続く。宗教的な話で、主人公が聖人のようになっていくものだとばかり思っていたので、彼がいつまでもこの調子だったのはかなり意外だった。
だがそれでも主人公は、信仰自体は失わない。結局、エホバが命じた通りに行動したのもそのせいだ。それでどんなに散々な目に遭っても、激しい怒りを覚えたとしても、信仰心だけはどうしても捨てられなかった。
これが良くも悪くも彼の呪縛となっているのだろう。神を信じているがゆえに町が滅びるのを疑わず、それを見届けようと留まって、神に対する疑いや怒りで頭の中がぐちゃぐちゃになりながら衰弱していく主人公の様子を描いた最終章の文章は凄まじかった。
靖国神社や自衛隊は大好きなのに戦争体験を語る元軍人には敬意を示さない愛国者や、天皇制は大好きなのに皇室のやることなすことにはいちいち文句を言ってばかりの支持者などもそうだが、熱狂的に何かを信奉する人には矛盾や歪さがある。その異様さには寒気を覚えることもあるが、そんな彼らの心の内が垣間見えるような物語だ。
著者
丸谷才一