★★★☆☆
あらすじ
余生を過ごしていた男は、富士山麓の精神病院で、演習学生として過ごした若き日々の手記を書き始める。
表紙画は片岡球子の「富士」。
ミュージアム甲斐ネットワーク公式サイト:【イベント】「山々に魅せられた画家たち」
感想
戦時下の精神病院で働く若い演習学生が主人公だ。自分を皇室の人間だと言い張る男や黙りこくる少年、色情狂の女など、様々な患者たちとのやり取りが描かれていく。
そこで浮き彫りになってくるのは、正常とは何か?ということだ。患者たちの自信に満ちた言動を見ていると、もしかしたらおかしいのはこちら側なのかもしれないと不安になってくる。それにそもそも、戦時下の異常事態に平然としていられるのは正常なのか?という問いもある。
さっき君は、ぼくらの秩序なるものがわからないとおっしゃったね。君がわからないと断言する、その根拠は、この世にはたった一つの秩序しかあり得ないという君の盲信からきているのとちがいますか。もしも君らが、この世にはたった一つの秩序しかあり得ないと信じ、その信念によって行動しているとすれば、それこそアドルフ・ヒトラー総統以上の独裁主義じゃないでしょうかね。
p117
そんな中で強烈なのは、やはり宮様を自称する男だ。自分が本当に宮様であることと、宮様であると偽ることの違いを熟考した上で、本当の宮様である設定で生きている。まともでないことは分かっているが、そうすることでまともを保とうとしているようなところがあって、それこそ「正常」とは何なのだろうと分からなくなる。
その一方で、病院の近くにある茶店の主人も強烈なインパクトを残す。危篤状態の患者の部屋にずかずかと入って来て、最期を看取るために集まった家族や医者の前で散々悪態をついたり、患者の美人の妻に手を出そうとしたりする。なぜ出禁にならないのか不思議なくらいに酷いのだが、彼は患者ではない。彼が正常で、患者たちはそうでないと判断する根拠は何なのだろうか。
内部でマグマを沸々とさせながらも静かにたたずむ富士山のように、どんな人間の内部にも心を狂わせる種火のようなものがくすぶっているのだろう。正常かそうでないかは紙一重どころか、一人の人間の中で振り子のように揺れ動いているのかもしれない。
終盤、宮様を名乗る男が本物の宮様に起こした事件は、スリリングでどこか胸のすくものだった。それはまともじゃないから出来たとも、まともだから出来たとも言えそうなものだ。彼に勇気づけられたのか、その後、医者・スタッフと患者がその境界線を取っ払い、浮かれて騒ぐ様子には妙に納得感があった。両者を分け隔てるものなんて、そもそも無かったのかもしれない。
戦時下なので、お国のために働けないものは不要、という圧力があることも窺わせながら物語は進行する。だが、簡単に「異常」と切って捨てようとするが、その判断は間違っているのではないかと突きつけてくる。そんな浅はかな判断が出来てしまうこと自体が「異常」と言えなくもない。
序盤はなかなか文章が頭に入って来なくて苦労したが、次第に慣れてきた。読み応えがあり、考えさせられる物語だ。
著者
武田泰淳
登場する作品
「カラマゾフの兄弟」
*