★★★☆☆
あらすじ
自殺を図るが失敗し、精神病院に運び込まれた女性は、心臓に残った後遺症で余命一週間と告げられる。
感想
余命一週間とは、なかなか困る微妙な期間設定だ。いくら死にたいと思っていてもすぐに死ねるわけではないのであまり嬉しくなく、だからといってどうせ死ぬのにわざわざ自殺を図ることもないかと思ってしまうような、もどかしい期間だ。
逆に残された時間を有意義に使おうと思っても、何も出来ないわけではないが、だからといって何でも出来るわけではない時間しかない。これまた何をするべきか、考え込まざるを得ない中途半端な時間だ。
冒頭で主人公は、先が見えてしまったような人生に生きる意味を見出だせず、自殺を図る。その重大な決断にすら、死にたい、という強い願望はなく、もう死んじゃおうか、みたいな、希薄な意思しか感じられない所に、彼女の深刻さが垣間見える。
なんとか自殺を免れ、しかし余命わずかと知った主人公は、精神病院の他の患者たちや関係者と交流することによって自らの人生を振り返り、生きることの意味について再び考え始める。彼女が気づいたのは、自分の人生に自ら様々な規制を設け、生き方を限定してしまっていた事だ。
自分の能力や世間体を考慮して、やることとやらないことを決め、そのルールのもとで暮らしていれば、あまり困った事態に陥ることなく安心して生きていくことが出来る。だがそれは、変わり映えのしない毎日が続き、将来に起きることさえ何となく分かってしまうような生き方だ。次第に人生が無意味に思えてきてしまう。
そんなふうに自分で壁を作ってその中でおとなしく生きるのではなく、自分の能力や世間体なんか気にしないで、自分がしたいと思ったことをして生きたい、そう彼女は願うようになる。
それは、世の中に存在する困難や堕落から、彼女を庇おうとするような愛だった。いつか、彼女がそれに直面し、全く身を守れなくなるという事実を無視して。
単行本 p225
こういった自分の中に設ける壁というものは、自分でも気づかないうちに築かれている場合もあるから厄介だ。わが子の事を心配してあれをしちゃいけない、これをしちゃいけないと注意する両親だったり、彼らを扱いやすくするためにルールで縛る教師だったりが、彼らをその中に囲い込んでいく。
精神病院の患者たちは、少なからず自分の中に存在する壁に苦しめられて、心を病んでいる。だがきっと世の多くの人たちもそんなに変わらない。気づかないふりをしたり、逆に強く意識して何でもないかのように振る舞っているだけだ。そんな壁なんか乗り越えて、自由に世界を歩き回れることこそ、本当の意味での「生きてる」という事なのかもしれない。
著者
パウロ・コエーリョ
関連する作品
映画化作品