★★★☆☆
あらすじ
アイドルの推し活に全力を傾け、その他がすべて疎かになってしまった女子高生。芥川受賞作。
感想
序盤は何気ない主人公らの会話や行動がリアルに描かれて、なんとなく女子高生の日記を隠し読みしているような後ろめたさがあった。ただ主人公が普通の生活をこなすことに苦労する様子や推し活に異常にのめり込む様子が分かって来るにしたがって、そんな感覚は段々と薄れていった。
ちなみにここで彼女の推し活が異常に見えるのはそれに縁がない人から見た場合であって、彼女たちの世界にすれば普通のことなのだと思うが。
読み進めながら思うのは、これは信仰の話みたいだなということだ。主人公はすべてを信仰に打ち込もうとしている人と変わらない。もはや自我すらも推しのアイドルに預けてしまっている。宗教だとそれでも生きていく術はあるが、推し活ではなかなかそういうわけにもいかないのが辛いところかもしれない。主人公はすべてを捧げ過ぎてしまい、どん詰まりの状態になっていく。
それからもう一つ宗教と違うところがあるとすれば、信仰の対象に実際に会えてしまうことだろうか。その代わり、その対象が死んだり引退して居なくなってしまうと何もやることがなくなり、推し活は強制的に終わりを迎えてしまう。
そう考えると、推し活の対象は生きて活動を更新していく必要があるということになる。だが別に対象が存在しなくなった後でも、それこそ宗教と同じように過去の音楽や映像を繰り返し鑑賞することで活動を続けられそうな気もするが、それでは駄目なのだろう。ライブ感が重要で、現人神でなければならない。
雨漏りの音が、ぺち、ぺち、と優しい平手打ちをくらわすように、三人のいる空間に落ちる。秋の雨は白く冷たく、空っぽの我が家をゆっくりと壊していく。
p92
主人公はやがて信仰対象を失い、喪失感に苛まれる。そこから新たな一歩を踏み出すきっかけをつかむラストには、ある種の清々しさがあった。誰かに依存してもその人の一部になれるわけはなく、必ず自分は残る。だからその自分をちゃんと愛せるようにならなければいけない。
ところでこの小説は、100年後の人間が読んでも理解できるのだろうか。読んでいる間それがずっと気になってしまった。だがもしかしたらこの文化は廃れるどころか一般化して、政治経済にまで波及していくのかもしれない。気付けばみんな夢中で一見ユートピアだが、実際は批評が一切許されないディストピアな世界になっているような気もする。
著者
宇佐見りん