★★★★☆
内容
運転中に方向指示器を出し忘れただけで白人警官に逮捕・拘留されてしまい、留置場で自殺した黒人女性の事件から、見知らぬ他者と接するときに何が起きているのかを考察していく。
感想
題材となった事件はとても悲しいことには違いないが、アメリカではわりとよくある事件のように見える。偏見に満ちた警官が、特定の人種の人間を不当に扱った事件。警官に憤り、ブラック・ライブズ・マター運動にでも言及すれば、それで終わってしまいそうだ。実際、当時のアメリカではそう受け止められた。だが著書は、この時両者の間に何が起きていたのか、その他の事例や研究を挙げながら読み解こうとしている。
他者とのコミュニケーションに誤解が生じたことから起きた過去の事件を取り上げつつ、いかに他人を理解することが難しいかが解説されていく。ここで挙げられる事件に、暴行や虐待などの性的な事件が多いのは興味深い。普通の契約とは違い、両者の間で明確な意思の確認を行わないことがほとんどなので、誤解が入り込む余地が大きいのだろう。
いくつか紹介された話の中では、人は外面と内面は一致すると思い込みがち、という話が面白かった。案外と人間は、仏頂面をしていても内心では楽しんでいる時があるし、笑顔でも内心では怒っている時があるものだ。それが分かっていながら他人に対しては、仏頂面をしているから不機嫌だ、笑顔だから上機嫌だ、と見たままで判断してしまう。特に相手がどんな人間なのかよく知らない赤の他人なら尚更だろう。
ここまでは思い当たる節もあり普通に納得できたのだが、裁判官や警察官、スパイなど、人を疑うのが仕事のような人たちですら、さして変わらないというのには驚かされた。彼らも我々と同様に、挙動不審だから怪しい、悪いことをするようには見えないからやってないだろう等と、見た目の印象にすっかり騙されてしまっている。どんなに訓練を重ね、経験を積んだところで、人を見抜く能力には大した違いが生まれないようだ。なんだか驚くというよりも、がっかりとしてしまう真実だ。
世の中では、どんな人物なのか直接会って確かめる、という行為はごく当たり前に行われているが、逆にそれが人を誤る原因になることも多く、顔を合わせず資料だけで判断した方がましな結果になることもあるらしい。考えてみれば一流企業でも、人当たりがいいだけの無能な人はわりとよく見かけるので、この説は間違っていないなという実感がある。彼らは人間のそんな性質を上手くハックしていると言えるが、実際はほとんどがナチュラルボーンな人なのだろう。
様々な事例や研究を紹介した後、著者は改めて冒頭で紹介された事件を振り返る。すると今まで見えていなかった真実が見えてくる。この最後の章は、まるで推理小説の謎解きを読んでいるようで、気持ちが良かった。もはや単なる偏見に基づいた不当な事件だとは言えなくなる。
今や情報が溢れ、数か月前の衝撃的な暗殺事件ですらはるか遠い過去のことに思えてしまう世の中だが、著者のように一度立ち止まり、一つのトピックについてじっくりと考察する事の大切さを痛感した。次々と流れてくる情報を深く考えず、一言で切って捨てながら消費していくのは気持ちが良いが、それでは社会に対する理解は深まらない。
他者との誤解が生じた時、人は相手のせいにして考えることを止めてしまうという著者の指摘も痛烈だ。最近よく耳にする「そんなつもりではなかったのだけど、あなたが誤解したのなら謝りたい」と言う意思を示すだけで実際には謝らない謝罪風言い訳も、これの一種だと言えるだろう。ただ相手を悪者にしているだけだ。まずは自分の非についてちゃんと考えられるようになりたいものだ。
著者
マルコム・グラッドウェル
登場する作品
「ショックマシンの裏側(Behind the Shock Machine: the untold story of the notorious Milgram psychology experiments (English Edition))」
「二次元正規特異点(Normal Two-Dimensional Singularities. (AM-71) (Annals of Mathematics Studies))」
「裸の王様(はだかの王さま)」
「アメリカでもっとも嫌われた男(The Most Hated Man in America: Jerry Sandusky and the Rush to Judgment (English Edition))」
「触れられて(Touched: The Jerry Sandusky Story)」
「古代ローマの笑い(Laughter in Ancient Rome: On Joking, Tickling, and Cracking Up (Sather Classical Lectures))」
「アマンダ・ノックス」 ドキュメンタリー映画
「酔っぱらいの振る舞い(Drunken Comportment: A Social Explanation (Foundations of Anthropology))」
「なぜ拷問は機能しないのか?(Why Torture Doesn’t Work: The Neuroscience of Interrogation (English Edition))」
「英国ガス産業史(A History of the British Gas Industry)」
「最後の跳躍(The Final Leap: Suicide on the Golden Gate Bridge (English Edition))」
「生か死か(Live or Die)」
「犯罪パトロールのための戦略(Tactics for Criminal Patrol: Vehicle Stops, Drug Discovery and Officer Survival (English Edition))」