★★★★☆
内容
なぜ人々は自分の知識を過大評価して失敗を犯すのか。そんな「知ってるつもり」について科学的に読み解いていく。
感想
人々は自分が思っているよりもモノを知らない。例えば今なら誰もが「新型コロナウィルス」について当たり前のように意見を言ったりするが、では「新型コロナウィルス」って何?と改めて聞かれると、正しく答えられる人はほぼいない。なのにどうして皆、詳しく知っているような錯覚を持ってしまっているのか。
この錯覚は、人々が知識のコミュニティで生きていて、そのコミュニティの誰かが持っている知識は自分も共有している、共有できる、と認知するから起こるようだ。自分が知っていることは他人も知っていると錯覚してしまうように、他人が知っていることを自分が知らないはずがないとも錯覚してしまう。でも確かにその人に聞けばすぐに教えてくれるのなら、知っているも同然みたいなものだ。
その錯覚が人々に知ってるつもりの態度を取らせる。昔は地域や階層、所属する組織などの制約があって、限られた範囲でしかコミュニティを形成できなかったが、今やネットがあれば何の制限もなく世界中の人と独自のコミュニティを築けてしまう。そう考えると、ネットは人々の知識を増やすことに貢献したが、それ以上に「知ってるつもり」の錯覚を増大させたのかもしれない。SNSで専門家気取りの人を多く見るのもそのせいだろう。
そういえば昔はよく人々の口から「その分野は勉強不足で…」みたいな謙遜を聞いたような気がするが、今はそんな言葉を聞く機会は滅多になくなった。なぜか「よく分かんないけど…」と言いながら、偉そうな態度で支離滅裂なことを言っている人はよく見るが。
間違っている知識を指摘しても、どうして人は素直に受け入れないのかの解説も面白かった。ワクチンや原発などの話が分かりやすいが、それは論理的なものではなく信念だから、という答え。
人の信念を変えるのは難しい。なぜならそれは価値観やアイデンティティと絡みあっており、コミュニティと共有されているからだ。
p185
自分の間違いを認めると、これまでの自分の生き方を否定することになり、また、共に歩んできた仲間たちと袂を分かつことになる。それだけの事なのだと言われると、確かにそう簡単に間違いを認めるのは難しいだろうなと実感する。依存していたコミュニティから離れるということは勇気がいる事だろう。依存度が高い人ほど、そういう勇気を持ち合わせていないかもしれない。
これを上手く利用しているのは政治の世界だと言えるだろう。本来であれば、政策によってどんな結果が起きるかが問題であるのに、それを価値観の問題であるかのように見せようとする。そして同じ価値観を共有するコミュニティを強化し、反対する勢力を攻撃し、妥協点を探る動きを潰してしまう。このような価値観をめぐる争いによって、もはや誰も最良の結果を導く良い政策は何かを考えなくなっている。
こういった「知ってるつもり」の誤解を解き、正しい知識を身につけてもらう具体的な方法はまだ発見されておらず、それが示されなかったのは残念だが、それがかなり難しそうなのは良く分かった。ただ、「知ってるつもり」は必ずしも悪い事だけではなく、人々を未知の世界に挑戦させる力を持っている。過去の偉人たちの根拠のない自信、自分への誤解が、文明を発展させてきた面もあるわけで、なかなか取り扱いが難しい問題でもある。言えるとしたら人は「知ってるつもり」に陥りやすいということを自覚しておくことくらいだろうか。
序盤は一般的な事、あるいは「知ってるつもり」の内容が多くてつまらなかったが、人間の脳とコンピューターとの比較や、政治、科学などの具体的な話が出てくる中盤以降は興味深く読むことが出来た。
著者
スティーブン スローマン/フィリップ ファーンバック
登場する作品
伝奇集 (岩波文庫)「記憶の人、フネス」
「運動について(On Motion)」 ガリレオ・ガリレイ
「ケイシー打席に立つ」 アーネスト・セア
「Saint Joan(聖女ジャンヌ・ダルク)」 ジョージ・バーナード・ショー
ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき
「Purple Haze(パープル・ヘイズ)」
「3びきのくま(三匹の熊)」