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「噂の女」 1954

噂の女

★★★☆☆

 

あらすじ

 京都で女手一つで遊郭を営む女は、東京の大学にやるも恋に破れ、自殺未遂を起こした娘を連れ帰ってくる。

 

感想

 若い医師に思いを寄せる遊郭の女将である主人公と、それを知らず同じように医師に惹かれてしまう家業を疎ましく思う娘の愛憎入りまじった関係が描かれる。ただ最初は田中絹代演じる主人公がかなり年配に見えるので、若い医師との関係を見定めるのが難しかった。

 

 それらしい雰囲気を漂わせてはいるのだが、恋愛関係が成立する歳の差なのか?と判断しかねて落ち着かない。だが演じていた役者の当時の実年齢を調べると、主人公演じる田中絹代が四十代半ばで娘役の久我美子は二十代半ば、そして医師役の大谷友右衛門が三十代半ばだったので、どちらもあり得る歳の差だった。納得できる設定だ。とはいえ、突きつめれば恋愛に歳の差なんて関係ない、となってしまうのだろうが。

 

 そんな三人が揃って能の舞台を見るシーンは、主人公の様々な心の動きが垣間見られ、見ごたえがあった。娘が男と思いのほか親密になっていることに気付いて驚き、焦っている。なかでも、舞台の演目が老いらくの恋を描いたもので、観客が無邪気に笑う中、自身と重ねてしまって居たたまれなくなり、そっと席を外す主人公の姿には身につまされるものがあった。

 

 こんな風に皆が笑っているのに自分だけが笑えないような体験は、誰にでもあるはずだ。今は「誰も傷つけない笑い」が持て囃されていると言うが、厳密に言えばそんなものは存在しない。人知れずどこかで誰かが泣いている可能性は常にある。そこに思い至れるかどうかは重要なポイントだろう。

 

 

 母娘の間をうまく立ち回る医師の男は、正直なところ、なぜ二人が惚れてしまうのか、まったく理解できない男だった。なにより娘に馴れ馴れしく体を寄せていく姿が気持ち悪い。企みがバレた時の開き直り具合も最低だった。遊郭で色んな男の醜態を見てきたはずの主人公なのに、自分のことになると途端に何も見えなくなってしまうなんて皮肉だ。

 

 娘役の久我美子は、最初はほぼ表情がなく(役柄の状況的に仕方がなかったが)、あまり演技が上手くないのかと思ったのだが、徐々に豊かな表情を見せ始める。特に能の舞台を見て屈託なく笑う姿は印象的だった。彼女に悪意は全く無いのだが、その純粋な笑顔が主人公に残酷に突き刺さり、とても効果的なシーンとなっていた。

 

 最後は、互いに対するわだかまりが解け、穏やかに話す母娘の姿にほっこりとした気分になる。だがその裏で業界の影の部分が強調され、女性が辛い状況に立たされ続ける現実も見せられて、どんよりとした気分にもさせられた。時々ほっこりするドラマもあるが、そうやって花街は成り立ち、続いている現実がある。

 

スタッフ/キャスト

監督 溝口健二

 

脚本 成澤昌茂/依田義賢

 

出演 田中絹代/久我美子/大谷友右衛門(中村雀右衛門 (4代目) )/進藤英太郎/見明凡太郎/浪花千栄子/田中春男/十朱久雄/小松みどり

 

音楽 黛敏郎

 

撮影 宮川一夫

 

編集 菅原謙二

 

噂の女

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噂の女 (1954年の映画) - Wikipedia

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