★★★★☆
内容
作家・町田康が、自身の文学のルーツや創作の裏側、書くことに対する思いなどを語り尽くす。
感想
自分語りなどしなさそうな著者が自身のことを語る。単純にそれだけで面白い。青年期には北杜夫や筒井康隆を読んでいたことも分かり、なんだか意外な気がしたりもした。それから当たり前の話ではあるが、彼も子供の頃には両親からお小遣いを貰って本を買ったりしていたのだなとほっこりした。あまりイメージが沸かないが、彼もありふれた普通の少年時代を過ごしてきたわけだ。
そして著者は、文学に対する様々な考えを赤裸々に語っている。ただ、講演の内容をまとめたものだからというのもあるかもしれないが、正直なところ、分かったような分からないようないまいちピンとこない部分も多かった。
だがそれは著者の説明が下手とかそういうことではなくて、普通の人では簡単に理解できないところまで思考を重ねているからなのだろう。何かについて軽く考えて結論を出して終わり、ではなく、その結論をもとにさらに深く考えている。この本で語られているのは、それを何度も繰り返した上でたどり着いた考えのように感じた。だからそれは、何も考えていなかった人間がすぐに理解できるレベルのもののはずがない。
そうやってたどり着いた考えを、著者がちゃんとそのまま伝えようとしているところは好感が持てる。どうせお前らなんかにはわからないだろうとお茶を濁そうとはせず、何とか伝われと努力している。聴衆(読者)に対する信頼を感じる。とても誠実な態度だ。
「なめんな、このクソwordが。何、勝手に変換するんや。俺は文学者やぞ」と。
p234
そんな中で時折出てくる、著者らしさを感じる言葉には思わず笑ってしまう。
文学を音楽に例えてみたり、いくつか分類して分析して見せたりする話は分かりやすく、そして面白かった。また創作に関する話も興味深い。特に、誰かに影響を受けることを恐れない、オリジナルを生み出そうなどと傲慢なことは考えない、という話はそうなのかもなと感心した。音楽もそうだが、過去の様々なものがミックスされて新しいものが生み出されている。完全にオリジナルなものなどまずない。
著者がいかに物事に対して深く考えているかがよく分かる内容だった。今や入門書の1ページ目に書いてあるようなことを知っただけで、すべてをわかったような気になってしまう人で溢れる世の中だ。そして深く考えることなく反射的に、専門家にすらマウントを取ろとしている。そんな世の中では、著者のようにすぐに動じず、深く考えられる能力が重要になってくるような気がした。
物事にオートマチックに反応し、何かに熱狂して自分を見失った人生なんて、生きている意味がない。文学の話だが、どのように生きるべきかを考えさせられる本でもあった。
著者
登場する作品
「物語日本史 2 遣唐船物語 羅城門と怪盗」 中沢圣夫
「物語日本史」 学習研究社
「経理課長の放送」 「農協月へ行く (角川文庫)」所収
「セヴンティーン」
*所収
「政治少年死す」 「大江健三郎全小説 第3巻 (大江健三郎 全小説)」所収
「掛持ち」
*所収