★★★★☆
内容
大逆罪で死刑となり、服役中に自殺した大正時代のアナキスト・金子文子が、自身の生い立ちをつづった獄中手記。
感想
まず、金子文子の手記を出版した関係者による冒頭の前書きの内容がグロい。獄死した文子の遺体を掘り起こし、改めて火葬をするくだり。当時の死んだ囚人の扱いはこんな感じだったのか、それとも大逆罪という罪の重さゆえなのか。
獄中で書かれたこの手記は、物心ついたころから始まる彼女の半生が綴られている。時々、これは手記なのだ、と言い聞かせないと勘違いしてしまいそうなほど、小説的で面白い。文章も読みやすく、頭の良い人だということが伝わってくる。上手く手直しされているのかもしれないが。
そしてその内容は、話を盛り過ぎて逆にリアリティがない小説のようで、かなり過酷だ。父親は母親の妹と暮らすようになり、母親は次々と男を変えていく。無籍なので正式に学校にも通えない。金に困った母親に売り飛ばされそうになったり、朝鮮に渡った親戚に引き取られるも下女以下の扱いを受けて虐げられたりと、苦しみしかない。
特に朝鮮でのエピソードが酷過ぎる。世継ぎとして引き取られるも見切りをつけられ、祖母・叔母の吝嗇と見栄のために苦しめられる。外では、良家の人間だから貧乏人と遊んでは駄目、出歩いては駄目と禁止され、内では奴隷同然に働かされ自由は何もない。もっと酷いエピソードもあるが、書いたところで信じてもらえないから書かない、と言っているのが恐ろしい。これ以上何をされたのか想像もできない。
苦しみから逃れるために遂には自殺を決行しようとする文子だが、何とか踏みとどまる。
祖母や叔母の無情や冷酷からは脱れられる。けれど、けれど、世にはまだ愛すべきものが無数にある。美しいものが無数にある。私の住む世界も祖母や叔母の家ばかりとは限らない。世界は広い。
p172
極限の状況でこういう考えが出てくるのが凄いが、それでも間一髪だった。数々の巡り合わせが悪ければ、ここで彼女の人生が終わっていても不思議ではなかった程だ。そしてその後も彼女の苦しい生活は続く。
ただ、きっと彼女の味わった苦しみというものは、この貧しい時代に多くの人が味わった事なのだろう。決して彼女が特殊だったわけではないはずだ。そして多くの人はその苦しみを甘んじて受け、ただひたすら耐えて人生を終えていったのだろう。彼女だって母親と同じような人生を歩む可能性だってあったかもしれない。ちなみに「おしん」もほぼ同時代の物語。
それでも彼女がそうならなかったのは、周囲に流されない強い意志と行動する情熱があったからだろう。そして様々な困難を乗り越えながら、なんで自分はこんなに苦しまなければいけないのだろう、同じように苦しんでいる人たちを助けたい、と考えるようになるのは自然の事なのかもしれない。人によりそれが宗教だったり、教育だったりへと向かわせるのだろうが、彼女はそれがたまたま政治であり、アナキズムだけだったような気がする。
そして大逆事件で同じく死刑を言い渡された夫・朴烈と出会い、いよいよ激しい活動の様子が描かれていくのかと思ったら、そこで酒器は終わっていていささか拍子抜けした。もともとは裁判に提出するために書かれたので、その詳細を書くと関係者に危険が及ぶからというのが理由のようだ。
二人が付き合い始める時に、「独身ですか?」から始まり、思想や主義をひとつずつ文子が確認していく場面は、活動家らしいと言えばらしいが、生真面目でなんだか可愛らしかった。
著者
金子文子
登場する作品
告白 上 (岩波文庫 青 622-8)(「懺悔録」)
「労働者セイリョフ」
「死の前夜」
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