★★★★☆
あらすじ
ふたりで一緒に暮らしていた母親を喪った男は、彼女のVF(ヴァーチャル・フィギュア)を作ることを決意する。
感想
最愛の母をヴァーチャルで蘇らせた男が主人公だ。ヴァーチャルな母親をより本物らしくするために、生前母親と交流のあった人たちと接触を図ることでドラマが生まれていく。
このVF(ヴァーチャル・フィギュア)もそうだが、この他にリアル・アバターや自由死など、独自の設定が盛り込まれた近未来の日本が舞台のSF小説となっている。主人公の境遇や社会の様子など、物語全体に暗い雰囲気が漂っているが、現状から日本の将来を想像するとどうしてもこうなってしまうよなと説得力しかない。氷河期世代が高齢者となる数十年後の日本だ。
しかし一体、今のこの国で、仕事から生の喜びを得ているという人間が、どれほどいるのだろうか?こんな問いは、冗談でもなければ、人を立腹させる類いのものだろう。
多くの人間が、自分が生きているという感覚を、疲労と空腹に占拠されている社会で、僕は母の「もう十分」という言葉を聞いたのだった。
p51
主人公は生前の母親が自分を残して自死を選ぼうとしていたことに納得が出来ず、わだかまりが残っている。それがヴァーチャルで彼女を再生させた理由の一つでもあった。だが彼女と交流のあった仕事仲間の話を聞いたり、彼女の過去を探るうちに、主人公の知らなかった意外な母親の姿が見えてくるようになる。自分が理解していた母親は、彼女のほんの一部分でしかなかったことに気付く。彼女のことを知ろうとすればするほど分からなくなっていく。
結局、他人の事を100パーセント理解できることなどないのだろう。ましてやその「本心」なんて知る由もない。だとしたらそんなことにこだわるのではなく、自分とその人との関係をより良いものにすることを考えた方がいいのかもしれない。相手を問い詰めたり、考えを押し付けたりせず、受け入れることだ。
家と仕事場の行き来だけ、話し相手は母親だけの単調な生活だった主人公が、母親の多面性を知っていく過程で人と知り合い、彼自身も多面的になっていくのが面白い。そしてそれが母親への執着を弱めて、彼の人生の可能性を広げていった。
自分と他者を巡る物語で、思わず考え込んでしまうような場面もあり、読みごたえがある。中でも主人公が友人のリアル・アバターとなり、自分が想いを寄せる女性に告白するシーンはなんとも言えない込み上げてくるものがあって強く印象に残った。
著者
平野啓一郎
登場する作品
「小夜啼鳥(ナイチンゲール)」 コールリッジ
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