★★★☆☆
あらすじ
ドッグランで出会った女に、犬好きの集まるバーベキューパーティーに誘われた男。
感想
著者名だけ見てネットで注文したら、届いた本があまりにも分厚くて若干怖気づいてしまった。同じ著者の「告白」と同じくらいの分厚さで、900ページ以上ある。
冒頭で、主人公が参加したバーベキューパーティーが、突然シュールで異様な展開を見せて驚き戸惑ったが、その次のシーンでは何事もなかったかのように元の世界に戻っていて安心した。と思ったら、そこからまたシュールな世界へと突き進んでいく。
突然顔が光ったり、ひょっとこが出てきたりと、どんどんと訳の分からない状況になっていき、きっとそれらは何かを意味しているのだろうが、良く分からなかったというのが正直なところ。ただ面白おかしく描かれるので、訳が分からないなりに、物語にそれなりの推進力はある。
(前略)夢で屁をこいたようなことを言っては頭のなかに花畑をこしらえて、我と我が思いに感動して涙を流していた。
p654
理解できなかったなりに無理やり解釈すると、何かとあれこれが気になってしまい、物事をうまく行うことができない主人公が、理不尽ばかりの世の中でなんとかうまく生きる術を模索する物語、といったところだろうか。
主人公が目指したのは、些事を気にせず、理不尽も受け入れる「抜け作」となる事。抗うことなくただ流れに身を任せ、たゆたうようにしていられれば、思い悩んで苦しむこともない。飼い主の命令に従う犬と同じようなものかもしれない。どんなに不条理な命令に思えても、それは結果的に犬に幸福をもたらす。だから何も考えずに飼い主の命令を聞いていさえすればよい。
ある男に助けられた主人公が、何が起きても動じず平気な顔をして、かいがいしく男の身の回りの世話をするその妻らしき女を見て、本当の「抜け作」というのはこの女のような人間を指すのではないだろうか、とハッとするシーンが妙に印象的だった。
考えてみれば、うまく生きている人というのは、確かに「抜け作」なのかもしれない。生きていれば必ず遭遇する納得できない事や承服しがたい事をすんなりと受け入れられる人だけが、スマートに生きていくことができる。それが出来ずにつまずき、もがくことになる多くの人は、彼らの事が眩しく見えてしまうのだが、もしかしたら彼らは何も考えていなかっただけなのかもしれない。彼らのようにするだけで楽に生きていけるのかもしれないのに、でもそんな風にはなりたくないよな、という思いが心のどこかにいつまでも残って消えずにいるから、いつまでたっても苦しむことになる。
この小説のタイトル「ホサナ」は、ヘブライ語で「どうか救ってください」という意味。きっと多分に宗教的な意味合いが込められているのだろう。それらをもっと理解するために、いつかまた深く読み込んでみたいなと思わせてくれる読み応えのある小説だった。
著者
登場する作品
「決定版 2020 若原一郎」所収 「おーい中村君」