★★★☆☆
あらすじ
中年の男は、定期的に訪れていた献血センターで若い女と知り合う。
感想
中年の主人公が、献血所で知り合った女と、久々に再会した同級生の妹、二人の女の奇妙な思い込みに振り回されてしまう物語だ。
序盤は著者独特の言い回しに慣れず、何が起きているのかさえ理解するのに苦労してしまったが、少しずつ慣れてきた。ただ、妙に多い体勢に関する描写は最後までうまくイメージを掴めなかった。
男女間で起きたことをただ淡々と私小説風に綴り、そして淡々と終わっていくのかと思っていたのだが、中盤以降くらいからはミステリー的な雰囲気も出てきてグッと惹きつけられた。突然数か月後に場面が飛んだりと、小説的な面白さも随所にちゃんとある。
妄想なのか現実なのか記憶が曖昧で不安定になっている女たちを、主人公が戸惑いながらも何とか落ち着かせようとする。主人公が、彼女たちの不明瞭な記憶を現実と妄想とにキッチリと切り分けていくのではなく、本人が納得して落ち着けるストーリーに導いてやっているのが印象的だ。実際どうだったのかは問題にしていない。
主人公は、女性と関係を持っていないのに持ったも同然だと見なしてしまったりと、現実に起きたことだけにこだわらない姿勢が様々な場面で垣間見られる。人によって現実の見え方は違うし、幻だって誰かにとっては真実だったりする。
とはいえ、真偽不明の話に巻き込まれてしまうなんて迷惑な話だ。だが、自分は狂っているのかもしれないと不安になっている人にとっては、他人が介在してくれることは心強いことなのだろう。他人の日常平生の顔を見るだけで、自分が今どこにいるのかが分かり、ひとり狂気に沈まないで済む。主人公は献血のように自分の血を与えることで女たちを安心させ、そして助けた。
年齢を重ねると、人は夢だったのか現実だったのか分からないような物語を一つか二つくらいは持つものなのかもしれない。それに苦しめられることもあるのだろう。だがそこで大事なのは、その真偽を確かめることではなく、自分の中でどう折り合いを付けるかだ。
なんとなく夏目漱石を読んだ時のような読後感だったが、全然違うような、でもやっぱり似てるような気がしないでもない。少しずつじっくりと読みたい小説だ。
著者
古井由吉
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