★★★★☆
あらすじ
謎のテロ事件が連続して起こる中、経済大臣の秘書官は元諜報機関職員の父親が倒れたとの報を受け取る。
感想
冒頭では、連続発生した様々な謎が散りばめられたテロ事件の概要が述べられていく。犯行声明めいたメッセージは受け取るも、そのテロ組織がどんな性質を持っているのか、右寄りなのか左寄りなのかさえまだ判断できない行き詰まった状況だ。これからこの事件の全容を解明する過程が描かれていくのだろうなと思っていたのだが、そうではなかった。
テロ組織からのメッセージの中には、フランスの経済大臣に言及するものがあったのだが、その後はこの経済大臣の秘書官である主人公の生活が描かれていく。主人公は、高級官僚ではあるが仕事への情熱はあまり感じられず、プライベートでは何年も妻の顔を見ない家庭内別居状態にある男だ。ただ漫然と無気力に生きている。
しかし、同居していながら全く互いの顔を見ないで生活ができるなんてあまり想像できない。広い家が買えてしまう金持ちならではだろう。アパート内でばったり出会うと緊張してしまうとは面白い。
やがて父親が倒れ、久々に実家に顔を出すようになった主人公は、疎遠になっていた妹や弟たちとその家族の近況を知るようになる。それぞれの家族にはそれぞれの事情があり、それによって破綻しかけていたり、それでも絆を保っていたりと様々だ。父親とその子供たちの家族の問題に関わっていくことで、主人公の心に次第に変化が起きていく。
それと同時に、ほぼ他人のような暮らしをしていた妻との関係も改善していく。年齢的にそれぞれ親の今後を意識せざるを得なくなり、自らの将来も考えるようになったのだろう。
その一方で、外の世界に求めた人生の喜びに失望したということもあるのかもしれない。仕事や政治、宗教にどれだけ打ち込んでも、高収入で世間から幸福そうに見えたとしても、決して満たされない何かがあった。そうやって何かを探し求めて遠くを見ていた視線が、次第に自らの足元へと移って行ったのだろう。まずは足元がしっかりしていないとどうしようもないことに気付いてきた。
夫婦円満となってそのまま終わるのかと思ったら、最後に主人公自身に問題が起きてしまったのには驚いた。人は他人の問題には敏感でも、案外と自分の異変には無頓着なものだ。あまりにも唐突な暗転ぶりに、読んでる自分自身は大丈夫だろうかと急に不安になってきた。
やがて悲しい結末がやって来る。だが読後感は暗くない。むしろ明るいものすら感じてしまうのは、主人公が幸せとは何かに気付き、満ち足りた気持ちになっていたからだろう。
日々、人々は自らの幸せのために声高に主義主張をし、時には過激化してテロまで起こしている。保守だ革新だと過熱し、活動が細分化する現代は、もはやどっちがどっちかすら曖昧になるほどのカオス状態だ。だが、それで誰か幸せになったのか?という話だろう。案外幸せとはシンプルなものなのかもしれない。
著者
ミシェル・ウエルベック
登場する作品
「デカルト的渦巻の理論及び引力に関する考察」 ベルナール・フォントネル
「原始的未来(Future Primitive & Other Essays)」
「産業社会とその未来(La société industrielle et son avenir)」
「マニフェスト―産業社会の未来(Manifeste : l'avenir de la société industrielle)」
「人間喜劇(La Comedie humaine 1/Etudes de moeurs, scenes de la vie privee)」
「残るは暴力のみ(The Sudden Arrival of Violence (The Glasgow Trilogy Book 3) (English Edition))」
「革命家の教理問答書(Catéchisme du révolutionnaire: Le règlement de l'organisation clandestine révolutionnaire "Vindicte populaire")」
「二〇八三」 アンネシュ・ベーリング・ブレイビク
「切れ端(Le lambeau (Prix Femina 2018))」
「死、生の扉(生命尽くして―生と死のワークショップ)」
「シャーロック・ホームズ全集(Sherlock Holmes t.1)」
「セント=ヘレナ回想録(セント=ヘレナ覚書) 」
「白面の兵士」 「シャーロック・ホームズの事件簿 【新版】 シャーロック・ホームズ・シリーズ (創元推理文庫)」収録
「しるし」 アポリネール
「ローラ」 アルフレッド・ド・ミュッセ