★★★☆☆
あらすじ
仕事で小田原を訪れるも空き時間を持て余すことになった男は、かつての大学の先輩でこの地に暮らす女性に会いに行く。芥川賞受賞作の表題作を含む4つの短編集。
感想
なにか劇的な出来事が起こるのではなく、主人公が内面で思考を巡らし、心が動く様子を丁寧に描いた物語が並ぶ短編集だ。それは時に散歩だったり、時に誰かとの会話だったりと何気ない日常のワンシーンの中で行われる。
表題作では、主人公が久しぶりに会った大学の先輩の家の庭で、一緒に草むしりをしながら会話する中で、それが行われている。単純にそのシチュエーションが可笑しいのだが、会話の内容自体は雑談のような、一見他愛のないものとなっている。
その中で主人公は、十年ぶりに会う先輩の女性の変わった部分、変わっていない部分、また新たに気付いた部分などを見つけていく。そしてそれは何も現在の彼女についてだけでなく、昔の学生時代の彼女についての新しい発見もあったりするのが面白い。そうやって人は、過去や現在をグルグルと変えている。
これは主人公らが話題にしていたように、人は光が当たっている場所しか見ない性質があるからなのだろう。その光の当て方は、時間や場所、状況などにより、刻一刻と変わる。だから見えなかったものが突然見えるようになったり、見えていたものに気付かなくなったりするのだろう。郵便ポストが見つからずに苦労すると、しばらくは街中の郵便ポストが次々と目に入ってきたりする。
そんな人々の行いを、彼らがしている草むしりとリンクさせて示している。最初はどれが雑草か分からないのだが、教えてもらうと容易に判別できるようになる。教えてもらったもの以外は分からず残ってしまうのだが、新たに教えてもらうとまた途端に見分けられるようになる。だが慣れてきても、一つの種類ばかりを集中して抜いてしまって、他の雑草にまったく目が行かないこともある。
そうやって光の当て方を変えることによって、物事の見方を変えることはできる。だがそれでも光の当てられる範囲は、人によってそれぞれ限度がある。それがその人の考え方やものの見方を決めていて、その人らしさを形成していると言えるのかもしれない。そして、光の当て方が違う者同士だからこそ会話が弾み、そこから新たな思索が生まれたりするのだろう。
各短編を読み終わった後に毎回、しばらくじっと考え込んでしまうような余韻があった。物語の中の主人公がした散歩や、誰かとの会話と同じ効果を持っているのだろう。主人公のように思索にふけりたくなる。
著者
保坂和志
登場する作品
失われた時を求めて 文庫版 全13巻完結セット (集英社文庫ヘリテージ)