★★★★☆
内容
ソマリランドは室町時代の日本と似ている、ということから始まった日本中世史の研究者とノンフィクション作家の対談。
感想
人類は目覚ましい進歩を遂げたが、すべての地域でその足並みは必ずしも揃っているわけではない。進歩の度合いにばらつきがあるので、ある地域の過去に起きたことが、別の地域では現在進行形で起きているかもしれない。なので、例えば日本の中世の様子を掴みたければ、今まさにそれと同じ状況になっている世界の辺境を訪れることでそれが可能になる、という見方は面白い。日本の歴史を研究するために、アジアやアフリカの辺境に向かうということも出てくるのかもしれない。
とはいえ、何から何まですべてが一緒のわけはなく、地域によって特徴がある。興味深かったのは、日本人は揉め事をお金で解決することをしてこなかったという指摘だ。今でこそ裁判をやったりするが、それでも積極的にそれを利用する人は少ない。確かに揉め事に限らず、お金の話は出来ればしたくないという雰囲気はある。
お金は汚らわしいもので、そんなものよりも誠意や気持ちといった気高き精神を尊ぶ、という考え方なのかもしれない。確かに伝統的な日本人マインドを持っている人はすぐに土下座をしたり、させたがるかもしれない。それが極端になったものが、死んでお詫びするとか、死んで身の潔白を訴えるという行為となって現れるのだろう。土下座や切腹、小指の切断とか、良く考えるとそんな事されても、された側は特にメリットはない。
それから「お国のため」という言葉。これを言い換えて「政府のため」と言われたら、なんで政府のためにそんな事しなきゃいけないんだよ、知るかって思えるのは何でなんだろう。戦国時代も滅亡しそうな領主ほどこの言葉を使っていたそうなので、この言葉をよく耳にするようになったら要注意だそうだ。
個人的には、日本人のお上意識が未だに抜けないのはなぜなのか興味がある。総理大臣だって間接的に国民が選んでいるのに、その総理大臣がおかしなことをやり出しても、辞めさすぞ、とはならずに、困った事だがお上のいうことはちゃんと聞かないと、と勝手に慮っているのは不思議だ。
二人の、特に高野秀行の知識量に驚かされつつ、日本の歴史と世界の辺境の話が同じ土俵で語られる事で、意外な推察や面白い仮説が飛び出してきて楽しめる。それと同時に新たな視点が出来て、自分自身の視野が広がったような気もした。やはり色んな分野に関心を持つということは大事だ。
著者
高野秀行/清水克行
登場する作品
「今川かな目録」
「本福寺跡書」
【新版】 雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り (朝日選書(777))
刀狩り―武器を封印した民衆 (岩波新書 新赤版 (965))
「当代記」
「月海録」
「勝山記」
「時慶卿記」
「粉河寺旧記」
「天狗草紙」
塵塚物語 (1980年) (教育社新書―原本現代訳〈63〉)
中国化する日本 増補版 日中「文明の衝突」一千年史 (文春文庫)