★★★★☆
あらすじ
大学受験を控えた男子高校生のとある一日。四部作の第一作。芥川賞受賞作。
感想
「ケーコート-」や「学校群」など、それが何を意味するのかよく分からない用語が出てきて時代を感じるが、その内容自体はじゅうぶん現代にも通じる、いつの時代も変わらない若者特有の悩みが描かれている。主人公の思索をメインにしながら、とある一日の出来事が綴られていく。
ただしここで描かれるのは、どこにでもいる若者の悩みではなく、兄弟が皆東大に行くような家庭の、そして近所もそれを特段驚くべき事とも思っていない社会的に恵まれた人たちが住む世界の優等生の悩みだ。今だとそれがちょっと鼻につく感じがしないでもないが、考えてみれば夏目漱石や森鴎外の小説の主人公たちもそういう世界の人間だったわけで、言ってみれば伝統的な小説の主人公と言えるかもしれない。
主人公は、リベラルな同級生たちの中で少し変わっている。まわりにそれを非難されたり揶揄されたりもするのだが、平気な顔をしている。しかしこういう周囲の反応を気にせず、なんなら簡単に受け入れてしまえる余裕というのは、いかにも都会的な態度に感じる。普通なら主人公の田舎から出てきた同級生のように、やたらと他人の反応を気にしたり妙に反発してみたりするような気がする。恵まれた環境でなんの不満も疑問も感じることなく生きてきたからこその鷹揚さなのだろう。彼の中に、台頭してくる大衆に対する恐怖が読み取れて、それ自体が今でいういわゆる「上級国民」ぽい。
それでも、まわりに流されずちゃんと自分で考えた上で行動したいという彼の考えには共感する。学生運動だなんだと騒ぐ周囲は雰囲気に流されているだけ、そんな他人の意見に乗っかるだけの自分らしくない事はしたくないという気持ちはよく理解できる。今だと他人のツイートをリツイートしただけで、いっぱしの意見を言ったような気になってしまっているようなものか。誰かの借り物の考えで満足するのではなく、ちゃんと自分で納得するまで考えたいという事だろう。
とはいえもしこの主人公が現代にいたら、いわゆるネトウヨ的言動をしているのかもと危惧する気持ちがあるのだがどうだろうか。主人公は人々の形式を重んじる傾向を見抜いてその欺瞞を指摘しているが、今なら「民主主義って結局多数決だから野党は無駄だよね」とか言い出しそうな気もする。
まあおれには、どうして感性やなんかが知性から切り離されて存在するのか全く分からないけれどね。
p121
でもそういうことを言っちゃう人たちは、知性を放棄して感性重視でぶっちゃけた意見を言えばリアリスト、と思っている節があるので、そうではなくちゃんと悩んで考え抜こうとする姿勢がある主人公は、やっぱり大丈夫なのかなと思い直した。
著者
庄司薫
登場する作品
「どうどうどっこの唄」 水前寺清子
「ドンキホーテ(ドン・キホーテ 前篇1 (岩波文庫))」
「一指導者の幼年時代」 ジャン=ポール・サルトル
トム・ストッパード (3) ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ (ハヤカワ演劇文庫 42)
「異端者の外套」 ブレヒト
「ブルーライト・ヨコハマ(ブルー・ライト・ヨコハマ)」
「かぐや姫(かぐやひめ (子どもと読みたいおはなし)」
シンデレラ―ちいさいガラスのくつのはなし (世界傑作絵本シリーズ―アメリカの絵本)
関連する作品
映画化作品
次作 四部作の第2作目