★★★☆☆
内容
著者が仏教に興味を持った経緯や関わり、著者なりに理解した仏教が語られる。
感想
まず著者と仏教の関係が描かれる。最初は仏像から入り、次第に教義などにも興味を示していく。京都育ちという地の利もあるが、彼をマニアックに突き詰めていくスタイルへと導いたのは、祖父の存在が大きいのだろう。いくら凝り性とはいえ子供では出来ないことや分からないことはたくさんあるはずで、普通はそこで終わってしまうところを、祖父がさらなるステージへと導いている。
良いか悪いのかは別として、こういうメンター的存在がいるかいないかは大きく影響するような気がする。メンターにより様々な可能性が示唆されれば、それを知りたいという欲求はさらに大きくなっていく。昔は身近にこういう人がいることが重要だったが、今ならネットがその代わりを勤めることになるのだろうか。
仏像好きから始まって教義にも関心を持って、どん欲に知識を吸収していく著者。この辺りは本当に好きこそものの上手なれで、好きだからこそ苦も無く出来るのだろう。そしてそこからの発見がマイブームになったり、マイブームの中にブッダの教えを見たりの相乗効果が生まれている。
ブッダの教えだからと単純に無条件に受け入れるのではなく、そこには常に自分の見方が入っている事が好感が持てる。仏教を宗教というよりも哲学として見ているということだろう。「悟りの境地に達したい」ということ自体は煩悩ではないのか?というような疑問がところどころに挿入されていて、対話をしている印象だ。
語られている様々なオリジナリティあふれる仏教的な取り組みの中では、他人の機嫌を進んで取るという「修行」が興味深い。とにかく相手の機嫌を取ることで相手は間違いなく気分が良くなるし、自分も、なんで自分が、みたいな変なプライドに固執しなくなる。そして自分の周りの皆が機嫌が良ければ、必然的に自分も過ごしやすくなる。まわりに幸せを与えて自分も幸せになるという素敵な世界だ。
逆にまず自分が常にご機嫌でいるというのも結構な苦行かもしれない。細かなことにイライラせずにずっとニコニコしているのはかなり大変そうだ。でも人は苦虫を噛みつぶしたような険しい顔をしている人よりも、ニコニコしている人の方が話しかけやすい。こちらも結果的にまわりに人が集まり、こちらのご機嫌さが相手にも伝染して皆がご機嫌という世界になりそうだ。「北風と太陽」の太陽のように。
読んでいて思うのは、みうらじゅんという人は、常に自分をプレゼンしているなということだ。こんな変なマイブームで面白がっている自分を面白がってもらおうというスタイル。だからその変なマイブーム自体にはあまり興味がなくても、それを面白がって語っている彼の話をついつい聞きたくなってしまう。本人も言っているが、きっとまわりが思うほどお気楽にできることではないはずだ。
仏教に限らず様々な宗教を、信仰としてではなく哲学として学んでみるのは悪くないかもと思わせてくれる本だった。
著者
登場する作品
生きている仏像たち―日本彫刻風土論 (1970年) (読売選書)
「瓦の美」
Watching the River Flow (Single Version)
「君は千手観音」
「正法念処経」
ゴッド(神) (2010 Digital Remaster)
スッタニパータ [釈尊のことば] 全現代語訳 (講談社学術文庫)
「アングッタラ・ニカーヤ」(「ブッダの道」 )学研