★★★★☆
内容
世界のクロサワこと、黒澤明監督が自ら語る半生。
感想
幼少期から語り始められるが、あまり家柄のことは詳しく書かれていない。だが、ばあやがいたくらいなので著者は裕福な家庭の出身なのだろう。幼い頃から映画や演劇に親しみ、文化的な生活を送っている。そのあたりのことは全然知らなかったが、考えてみればまだ映画草創期ともいえるこの時期に、映画界を目指そうとする者なんてよっぽど恵まれた環境にいた人間だけかもしれない。食うに困るような環境で育った人間は、とにかく着実で安定した仕事につきたいはずだ。
著者の青年期の話で興味深かったのは、中学時代に遭遇した関東大震災の話だ。震災直後に兄に連れられ、死体があちこちに山のように折り重なる被災地を見てまわった話や、デマに踊らされて正気を失った人の群れを見た話など、どれもかなり強烈だ。やはり実際に体験した人の言葉は、拙い知識だけでしたり顔で語っている人の言葉なんかよりも何倍も重い。ここで見た光景や人々の姿は彼の映画作りに大きな影響を与えているのだろう。ちなみ本に掲載されている当時の新聞写真もなかなか強烈だった。
私達日本人は、自我を悪徳として、自我を捨てる事を良識として教えられ、その教えに慣れて、それを疑う事すらしなかった。
単行本 p307
また戦中戦後の人々の姿を観察してきた事も大きいはずだ。特に直前まで一億総玉砕だと意気込んでいたくせに、敗戦した途端に民主主義だと浮かれている日本人の節操のなさには呆れてしまっている。ただこれは、昨今のコロナ禍になれば皆で自粛だと叫び、隣国が戦争を始めれば一斉に核武装だと唱えだす人々の様子を見ていると、今も続いていると言える。
権力のある者、声の大きな者に何も考えずなびく日本人の姿を見ていると、明治の文豪たちが自我に悩んでいたのは何だったのだと思ってしまう。未だに多くの日本人は、自我を獲得できずにいるのではないかと疑いたくなる。
著者の半生を読んでいると、良い出会いに恵まれていたことがよく分かる。小学生時代の恩師や後の仕事仲間となる幼馴染、映画界の恩師となった監督など、いくつもの素晴らしい出会いがあった。これらの良き出会いは、彼を大きく成長させた。
ただこれは運が良かったのではなく、彼自身が機会を逃さす、その出会いから良い関係を築こうと努力したからこそだったと言える。こちらから積極的に関わろうとしなければ、それは出会いではなく、ただ一瞬のすれ違いで終わってしまっていたことだ。後年、仕事仲間の幼馴染と共に、年老いた恩師と食事をした話は泣けた。
それにそもそも著者は家族に恵まれていた。彼に様々な大衆芸術を教えてくれた兄がいたし、父親も常にサポートしてくれた。特に父親は、武士のように厳しい明治男だったらしいが、なぜか映画鑑賞には寛容で、著者が画家になりたいと言えば応援してくれるし、フラフラしていても何も言わず温かく見守ってくれたというなんだか不思議な人だ。単純に我が子に甘かっただけかもしれないが、親がそういう態度でいてくれたら子供は勇気づけられるに違いない。
青年期までの話もそれなりに面白かったが、著者が映画界に入ってからの話はさらにグッと面白くなる。助監督時代に師匠から映画の作り方を学んだ話や、戦時中に検閲官と戦った話など、とても興味深い話が次々と出てくる。デビュー作から作品ごとにエピソードが語られるのも良かった。
ただ68歳の時に書かれた自伝なのに、「羅生門」でヴェネツィアのグランプリを獲った40代前半で話が終わってしまっているのは残念だ。その後自殺未遂とか大変な時期もあったから思い出したくないのかなとか、まだ客観的に語れるほどうまく消化できていないからなのかなとか、様々な憶測をしてしまう。だがこれはもともと雑誌の連載だったので、単純にそろそろ映画を撮らなければいけなくなったから終了した、というだけのことだったのかもしれない。
しかし「羅生門」同様に、自分の話もどれだけ信じていいかは分からないよと締めるあたりは、映画ばりの上手いエンディングだった。
著者
登場する作品
最後の一線〈上〉 (1952年) (創元文庫〈B 第37〉)
「水野十郎左衛門」 藤森成吉
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