★★★★☆
内容
どのように聖書と接してきたのか、 作家や批評家、聖書学者などが語る。
感想
それぞれが語る内容がどれも興味深く面白かった。聖書をただの宗教書としてだけ見るのはもったいない。世界最大のベストセラーであり、2千年近く読み継がれているのは単なる宗教書だからではなく、その内容に人を惹きつけるものがあるからだ。
田川 旧約聖書の時代には、神の像を刻んで拝んではならない、と言っていた。このことを拡張して考えると、単に彫刻をつくることだけじゃなくて、自分の頭の中に神の像をつくり、神という理念をつくり、その神によってすべてを説明する、というようなことになってはならない、ということじゃないでしょうか。
p110 「Ⅴ 神を信じないクリスチャン」 田川健三
なかでも印象的だったのは5章の新約聖書学者、田川健三のインタビュー。神を信じるのであれば、神を想像する事すら間違っている、というのはすごい。それ以外にも、神は自らがいちいち手を差し伸べなくてもいいように人間をつくったはずだから、神様なしで上手くやれてこそ、神の存在を証明することになる、とか、すごい解釈だ。
つまり神を求めてばかりいるようでは、本当の信者ではないということか。もはや神様は必要なのか?というレベルだが、こんなことを言い出す信者は教会は扱いづらいだろうなと同情してしまう。彼らにしてみれば、無邪気に神様を求めてくれた方がやりやすいだろう。
それから、橋本治や池澤夏樹は聖書をちゃんと読んでないと断りながらも、それでも面白い話を展開していてさすがだ。ただし彼らのような人の言う「ちゃんと読んでいない」は、「じっくり読み込んでいない」だけで、「ほぼ読んでいる」ということだから気を付けないといけない。
SNSなどでは彼らのような人の謙遜を真に受けて、レベル2ぐらいの人がマウントを取りにいく地獄が割とよく見られて、インターネッツはすごいなと思ってしまうのだが、知識が増えるほど人は謙虚になっていく現象は覚えておいた方がいいだろう。あの人ですら詳しくないと言っているのだから、自分も知らなくてもいいかなと判断してしまうのは軽率かもしれない。逆にやたら断定調で話す人のうさん臭さにも気づくかもしれない。
様々な人の話を読んでいて、自分が聖書に関心があるのは、池澤夏樹のように小説や映画で使われている聖書のモチーフを理解したいからなんだよなと再確認した。ご存じないんですか?映画のあのシーンは聖書のあの部分を引用しているんですよ、とか言いたい。ちゃんと相手のレベルを確認した上で。
著者
山形孝夫/池澤夏樹/秋吉輝雄/内田樹/田川健三/山我哲雄/橋本治/吉本隆明/山本貴光
登場する作品
「カール・ギュツラフ略伝と日本語聖書」 秋山憲兄
ジーザス・クライスト=スーパースター (2000) (字幕版)
「バッハ:目覚めよと呼ぶ声あり(目覚めよ、とわれらに呼ばわる物見らの声)」
「燃える棘」 石川淳
古代文化の光―ユダヤ教とクリスト教の考古学的背景 (1961年)
「忍法破倭兵状 忍法帖 (角川文庫)」所収 「忍法天草灘」
「女大学」
中世思想原典集成 精選1 ギリシア教父・ビザンティン思想 (平凡社ライブラリー0874)
God Is Back: How the Global Revival of Faith Is Changing the World (English Edition)