★★★★☆
内容
社会との関係を「個人」という単位で考えていることが、我々を苦しめているのではないかと考え、新たな単位「分人」で捉える「分人主義」を提案する。
感想
仮面をつけた自分だとか、本当の自分だとか考えるから人は苦しくなる。様々な場面で見せる自分はすべてが本当の自分だと認めて、それぞれを「分人」として考えよう、という考え方はすんなりと理解できる。
嫌いな上司に愛想笑いを浮かべている時の自分も、友人と馬鹿笑いしているときの自分も全部本当の自分で、上司や友人とそれぞれ接するときの「分人」になっているという考え方。そもそも本当の自分、偽っている自分と考えるからおかしなことになる。どの自分も本当の自分に決まっているのだ。それらが合わさったものが自分の個性となっている。
この分人主義を意識することは、様々な利点がある。たとえば自分のことが嫌いで自分を変えたいと思ったとして、個人主義の考え方であれば自分を丸ごと一新しなければならないが、分人主義であれば好きになれない「分人」になる相手や状況を減らし、好ましい「分人」になる機会を増やし大切にしていけばいい。自分の分人の構成の具合が個性なので、その構成比率を変えるだけで個性を変えることができる。なんとなく気が楽になる。
しかし、分人が他者との相互作用によって生じる人格である以上、ネガティブな分人は、半分は相手のせいである
p101
そして、上記のような考え方も面白い。一見、身勝手な感じがするが、良い関係も悪い関係もそうだとすれば、自分に関わる人たちの事を自分のことのように考えられるようになる。身近な誰かの良い事も悪い事も、自分の分人が何らかの影響を与えているわけだから他人事ではない。自分は関係ないと言い切れてしまう個人主義とは全く違う視点になる。
分人には、どんな人とも折り合いよくやれるような社会的な分人、店員と客、上司と部下のようなグループ向けの分人、そして家族や友人のような特定の相手に向けた分人と、それぞれの段階があると紹介される。
読んでいて思ったのはコミュニケーションがうまくいかない人は意外と社会的な分人が上手く機能してないのかも、という事だ。本当の自分を見てくれと言わんばかりにステップを無視して、いきなり特定の相手に向けた分人で人と接しようとする。社会的な分人でいるつもりの相手は戸惑ってしまうだろう。コミュニケーションの問題は、どの段階に問題があるのか、一つずつ確認するということも大事なのかもしれない。
居心地のいい分人やポジティブな気分になれる分人を増やしていけば、自然と自己肯定感の高い人間になれるし、いい人生を送れるようになる。付き合う相手を選びましょうということでもあるが、劇的なことをしなくても緩やかに変わっていくことができるというのは心強い。
しかしそう考えると、公的活動の場でもあり、愚痴をこぼしたり噂話をする居酒屋のような場でもあり、趣味の場であり便所の落書き的な場でもあるネットの世界というのは、どのような分人でいるべきか、設定が難しい場なのかもしれない。ネット全体に対する分人というものを作ったとしてもそれは間違いなくつまらない分人になっているはずだし、公用、趣味用、愚痴用と複数の分人を設定したとしても、それに対するのはすべてがごった煮になった相手なので正しく分人が機能するとは思えない。分人主義についてはまだまだ考察するべきことがたくさんあるのかもしれない。
それから、この本では著者のこれまでの小説が分人主義の視点からそれぞれ解説されているので、過去の作品を読んで来た人には、さらにそういった部分で興味深く読むことができるはずだ。
著者
平野啓一郎
登場する作品
(トニオ・クレーゲル)
*一月物語
「フェカンにて」(あなたが、いなかった、あなた (新潮文庫) 所収)
「les petites passions」(滴り落ちる時計たちの波紋 (文春文庫)
所収)
「愛国心」 三島由紀夫
「母を恋うる記」 谷崎潤一郎
「今後四十年の文学を想像する」(ディアローグ 所収)